Webや動画に人が求めるもの

デパートへ服を買いにいったり、コンビニで飲み物を調達したり、食堂へご飯を食べに行ったりするように、人が向かう場所には目的が存在する。Webではそれがややあいまいで、多目的ではあるが、つまるところ、見たいものは価値ある情報、秀逸なユーモア、そして人のつながりに集約されると思う。日常の出来事をつれづれなるままに書いても、愚痴を書いても、それは自分の自己満足に過ぎず、読み手にとっては何の価値もない。
かつてのエントリで、ブックマークがついたりつかなかったりと、何でこんなエントリが注目を集めるんだ?と思ったり、会心の出来ktkrと思った文章がまったく読まれていなかったりと、Webはようわからんなぁと思うことが正直多かった。どういった基準で人は判断しているのかなぁ、と。結局、文章のレトリックや表現は大して問題ではなく、そこに刺激ある新情報、読み手への新たな気づきを生じさせるかが評価対象だったのだと。
ニュースサイトやエロサイトにアクセスが集中し、自分の文章はまったくアクセスがない。なんでオリジナルなものを生み出していないのにそちらにアクセスが桁違いに集中するんだ、と、書き手の視点から感じることは(傲慢にも)あったが、何のことはない、ニュースサイトが役に立ち、私の文章を呼んでも何も得るものがなかっただけのことだ。それは非常に単純で、かつ残酷な事実だ。
この、オリジナルvsどっかから持ってきたコンテンツの集合、という視点は、オリジナル動画とMADの関係においても言える。オリジナル動画が何ヶ月かけて作られ、すべて手書きで作られたものであったとしよう。その努力はたしかにすごいし、もちろんそういった努力部分を想像して評価に加味する部分はある。ある、が、それはいうなれば「よくがんばったねー」と、小学校の先生が児童に言う言葉と大差なく、それはコンテンツから引き出される面白さの評価の素点ではない。たとえそれがオリジナル性のまったくないものであったとしても、見て、面白ければ、またたく間にランキング入りですよ。「ジェパンニが一晩でやってくれました」などというタグをたまにみかけるように、数時間で即興で作られたやっつけのものであったとしても、そこに見るものを引き込む何かがあればいい。
ニコニコ動画において、コンテンツ本位の評価がされているかどうかは、日々のランキングを見ても明らかに感じる。BGMや音楽のいいやつがでたら、よく上位に来ていたりするものね。
しかし、どう作ったら、どう書いたら人が喜ぶかなんて考えても難しいもの。旬の話題やキーワードはなんとなくわかるが、そこまでである。その素材をどう料理するか。たまに見かけるものとして、視聴者を意識したネタ、パロディ満載の動画がある。ただむやみにウケを狙いすぎても正直サムいだけである。ある動画で、今まで普通にコメントが断続的に流れていたのに、ネタふりがされていた時間帯だけコメントが途絶えていたりしたりするものがあった。その動画には何もコメントが表示されてはないが、そのとき思う。ああ、ハズしてるな、と。見ているユーザがシラけている様子を勝手に想像してしまうのだ。
人は作り手が想像もしなかったような見方をして笑ったりする。いろんな人や感性の人が日本中にいますから。最終的には、その人のセンスをぶつけてみるしかないように思う。センスなかったら仕方がない、向いてなったんでしょう。下手な鉄砲ではないが、作品を出し続けていけば、やがてはヒットもでるかもしれない。


今まで、コメントの分析を中心に、ニコニコ動画の話題を(結果的に)多く扱ってきたが、私もできるならそんな、本当に人にとって価値ある情報やサービスを提供するために何かしたいなぁと思う。思うだけじゃダメなので、何でもいいから考えていこうと思う。うーむ、まず言語の勉強が必要となるのかな・・・。