Webにおけるタブーと受信者優位を考える

池田信夫氏の2/5のブログより。
ウェブを「匿名の卑怯者」の楽園から脱却させるには
(参考:http://ascii.jp/elem/000/000/105/105389/
サラっと読むと、ああなるほどなぁと納得してそのまま終わりそうな内容である。私も池田氏の言うところの匿名の卑怯者に名を連ねているわけですが。
池田氏の文章の中で、匿名性が、暗黙の言論弾圧の装置になっているというくだりが、個人的には気になった。確かに思いたるふしはある。暗黙の言論弾圧によって「弾圧されているもの」は何か、言い換えるとWeb上のタブーは何なのかを考えてみた。
Web上のタブーか・・・書くとき気をつけていることはたしかにある。たとえば、まずいのが

  • フルボッコされている人をかばう、擁護する
  • 悪行を書く、もとい自慢
  • あるものを批判する(あるものを絶賛する)
  • Webの「常識」に反する行動
  • Webの善なるものをたたく、悪なるものを擁護する
  • 決め付け
  • 捏造
  • 金が絡むアフィ関連
  • 卑怯・逃走・DQNな内容
  • 犯罪を示唆する内容

具体的なキーワードとしてこのブログで触れそうな話題としては、中韓関連、P2P関連、2ch関連といったところか・・。これらの内容に触れる時は、いつもよりも文章に気をつけて書くようにしている。読み手がどう思うかってことを考えないで書くとですね、もう、すぐに燃え盛るわけです。
ちなみに、アクセスがほとんどないと起きないかとは思う。火付け人がいないから。ここでヤバイ内容を書くと燃えるかどうかは・・半々くらいでしょうか。Webは公共の場と言う認識も共通のものとなりつつありますからね・・・。
さて、言論弾圧に戻る。池田氏が言いたいのは、おそらく著名な人による文章の言葉尻などをとらえ、Webで匿名によるコメントの攻撃が連続的になされると言う、荻上さんの言うところのコメントスクラムであり、それを恐れて著名な人によるWeb上のブログなどが育たない、ということなんだろうと思う。実際に、現状ブログを公開している著名人・芸能人などが攻撃された例は後を絶たない。攻撃理由は、時にそれは攻撃されても仕方ないだろう・・・と思うものから、それは言いがかりだろう、と思うものもある。また、その発言を「一人の人間が純粋にふと思ったこと」として考えると理解できるし、人の自由だろうと思うが、それをWeb上で書いたのはまずかったようですね・・・ご愁傷様、と思うような内容のものまで、様々だ。
少し前、ある卒論をふと見つけて読む機会があった。Webは受信者優位のアドホックな関係である、という論点だ。受信者優位というのは、まさに読み手が匿名であるからこそ生じているものだと思う。訪れるユーザはコメントという剣しか持たず、ブロガーはブログという城と、反論という盾しか持たない。これは卑怯だ、実名制にすべきで、互いに攻撃されて困る「実名」と言うものを見せながら戦うべきだ、というものが池田氏の主張だと私は理解している。実際にそうなったらWebはどうなるだろうな、という純粋な興味はさておき、それによって生じるものは、間違いなくコメントのしづらさ、障壁の高さであると思う。
大学教授や研究者の方などがもっとブログを書いて色々ヤバイことでも何でも主張したものを読んでみたい、とは思う(池田氏のように)。このブログの数百倍は面白いだろうし、経験に基づいたものであるだろうし、内容も濃いものだろう。それが実名制によってもたらされるのであれば・・・良いかもしれない、と思う。ただし、2chなどをはじめ、Web上の一部のコミュニティが崩壊するだろうが。
Webって二つあればいいのになぁと思う。実名制の世界と、匿名性の世界。両者をうまく使い分けて楽しんだら、人はもっと幸せになれるのだろうか。
知っている方はよく知っていると思いますが、NTTNGN(Next Genereation Network)の導入を今年4月より開始するそうです。なんでも、セキュリティ向上、行政サービスのWeb展開、在宅勤務や介護などが実現するかもしれないそうです。Webもまた、変化していくのだろうか。ひろゆきさんは、Webは変わっていないし、これからも変わらないだろう、と言っていたが。
SF小説や漫画などで描かれるような、Webの未来の夢の世界・・・・なんでも都合よくはいかないと思うが、結局はルールというものは、現代を生きている人々のコンセンサスで決まる。Webの世界が、自分にとって大切であったなら・・・・・・まずは、Web上の色々な問題に関心を持つことによって始まるのではないかな、と思う。