ついに俺は

「ついに」、って大して経緯を話していないのに使うなよなと思う。すべてを理解した上での前提をつけて、分けのわからない経緯も、いろいろあったんだよ、ということにして押し通してしまう。「ついに」という言葉は、終わり、クライマックスを思わせ、「多くを知るもの」になんとなく多数が流れるという習性をうまく利用している。
短時間で物事を浅く理解することには向いているが、実際には何が焦点なのかわからない。一部のコア向けの方に見せているんだよという態をなして実情は多くの人々にわかった気にさせようという狙いがある。

例:・ついに○○結婚か!
  ・ついに○○逮捕か!

ついに(終に)物事が決着がつくという物事の要点を知る上で、小説のクライマックスを一瞬で見るような効率性があるが、ついにを多用されると、何なんだよついにってしらねーよといった反発と不快感を抱くこともある。ワイドショーでもついにが枕詞のように使われているので、何でもないようなことでも「ついに○○なんだよ!」という言葉を意味なく大声で使ってみると、反応がいつもよりよいかもしれない。

・○○、ついにコーヒーを飲む!

この例が顕著に表しているが、わずかこの3文字をつけるだけで、コーヒーを飲むことがものすごいことで、かつそれにいたるまでにさまざまな障害、軋轢を乗り越え、今コーヒーを飲むという目標を達成するにいたったという一種のドラマティックなストーリーを想像させる。言葉のレトリックに過ぎないが、使い方によっては注目を容易に集めることができるだろう。わずか3文字なのに、思わせぶりな言葉である。いわゆる背景の仰々しい効果音みたいなものか。

ついに、ブログを更新したぞ!別に理由はないですけれども。