亡くしていくもの

なくしていくものに人は鈍感だ。消えていくものに人は見向きもしない。それははじめからなかったかのように扱われる。
そもそも人の意識に上らないという状態が終わりのない終わりとインターネットでも言われるものだが、自分はなくしていたことに基本気づかない。しかし絶対になくしていっているものはあるわけで、それを考えると人は忘れることに恐怖する。怖いと思う。自分がかつて思っていたことが二度と思い出せなくなる状態となってそれが一生気づかないであろうというその事実を第三者的に見てしまったら、たぶん身の毛がよだつほどにもどかしくかつとても悲しいことのように思う。
だが人は忘れる。記憶からなくしていく。最近自分は好みが変わった。車が好きになった。なんか今頃感はあるが身だしなみに興味を持つようになった。これは以前の自分ではなかったものだ。自分の行動と嗜好が代わっていっていることが自分でもよくわかる。自分もよくわからないうちに変わっていっている。変わっていこうとしているのか、どうかはしらないが。
一方で、以前大切にしていたものが、そういう大切なものであり続ける動機が薄くなり、大切にし続けることに懸命になっていることがある。以前のように興味がなく失われていったものについて。かつての自分があれほど大切にし続けていったものをいまの自分がそれを壊すのは自分としてどうなんだと正直はばかられる部分がある。自分はずっとかわっていないという認識が自分の中では依然としてあるからだ。
亡くしていくもの。二度と思い出さなくなり、振り返らなくなったら終わりだから、人は写真とか思い出のものを残すのかもしれない。自分は写真やそういった思い出のものはムダだと思う人間なのだが、ふと。そういうものの大切さを感じた。