形容詞の陳腐化と日本語

インターネット上で「面白い」や「かわいい」「楽しい」などという言葉を見ても以前より反応しなくなった。以前はそういったものが有限で希少であるかのように思っていたが、それは世の中にあふれるほど、そして(感じる人の数)×(X倍)ほどにあることがわかってしまったからだ。考えてみれば、何でも楽しいとか感動したとか、おもしろいとか、形容詞表現が貧相なんだよ!みんな言うこと同じなんか!それじゃ違いがわかんねえよ!と思うことは久しい。とりあえずそういっとけばいいか、という安易な表現でもあり、特に社会人だとほめ言葉のオンパレードはすでに食傷気味もいいところである。リピーターか貴様は。
形容詞は新語?のようなものが時折飛び出し、一時的な流行を見せる。通常の表現に飽いている人間が多いことの証明でもある。振り返って、日本語は進化しているのだろうか。平安時代にかな文字ができたらしい時期から、表現方法はさまざまに変わっているとは思う。自分的には、「古文の世界」→「戦国の世界」→「江戸・近代」→「大正〜昭和初期」→「現代」、くらいで、その当時使われていたであろう日本語のイメージは漠然としては持っている。やはり色んな表現があるなあ、というか世界を超えると翻訳しなければわからないような表現も多い。なぜ使われなくなったか・・などと考えていくと、歴史、民俗学の分野につながり、それはまた一生かかってもわからないほどの世界があるのだろうなと思う。
で、日本語なんですが。「あ〜わ」の文字数は完成されたものなんですかね?形容詞で新語が出るなら、ひらがなの新語が1000年に一度くらいはあってもいいんじゃないかとふと思ったわけなのです。未完成であればですが。
実際、日本語の聞き取りは音を「認識する」ことにあるわけで、細かく聞き取ることも可能なわけですよ。英語で「r」と[l]の聞き取りができるかというのも、要はそれを認識するほどに耳をそばだてて聞いているかというところにあるわけで。新しい「行」がひらがなにできたら、新語もすごく作りやすいじゃないですか。
まぁ、単純に最近の日本人が不勉強だから語彙が貧相であり、そもそも覚えようとしていない、というところで結論すると思いますが。むしろ一行くらい減らしたほうがいいのかもしれない。「わ行」なんかすごく減らせそうじゃないですか。「わ」はすべて「は」、「を」はすべて「お」と聞き取り、表記する!とすれば。はる〜か昔、そういう論議もきっとあったんだろうな。

定型的なテンプレは飽きたよー。何でみんな言葉をまねするのがそんなに好きなんだよー。日本語スキル者が1億2千万人以上もいるからなのか。ハンジャー。