自分のルーツを探して

時間はほとんどの出来事を過去へと洗い流してしまう。自分がなぜ昔、このようなことを大切に思っていたのか、なぜ、こうしたいと強く思ったのかも、忘却され、希薄な事実の断片でしか思い出せなくなる。
刹那的な気持ちが高まり、それが最高潮になる時、まさに生きている瞬間を実感したものである。それが今の自分の行動指針や目標のもととなったはずなのだが、今ではその強い気持ちのほうはきれいさっぱり忘れてしまった。仕事すると人って意欲失うんだね。仕事して初めて気づきました。ずっと自分は自分のままだろうと思っていたが、まあそんなことはないですね。色んな人との出会いが人を変えると、前の価値観が不思議な、違和感あるものに感じてしまう。しかしまたそれもその頃の自分であるわけで、いわゆる人生のゴールのようなものは以前とかわらず設定しているつもりである。しかし、正直、今それがそれほど大切なものだったのか・・?と違和感を感じている。
私は元来ずぼらで、過去の日記などはない。人はその時その時をたゆたう存在なのだから、写真や日記などの「記録」は必要ない!となんとなく思っていました。でも、おかげで昔が思い出せない。当時は今のことを思い出せないはずがないと思っていたものだが、いざ今になってみると、数年前のことはほとんど思い出せない。
2年前は、はてなの過去エントリから思い出せるので、それはよかったなあと思うのだが、自分が絶対的としてきた価値観が、他人や環境とぶつかる時、自分の価値観の正当性というか、信念の揺るがない証明として、なにかエピソード的なものがあったかなあ・・・・と思い出す。なかなか思い出せませんねえ。
過去はやりたいやりたいと思っていたものが、いざ挑戦することが可能となると、そのことがとてもつまらなく、色褪せて見えてしまうのは仕様なのか。意欲や情熱が以前のようにわかないのは計算外だった。昨日より今日、今日より明日と積み上げていく予定だったはずなんですけどねえ・・・・あれ、まず土台すらみつかりませんよ?の状態である。
メシが食えるだけ幸せであるし、それはフツー幸せだと思えるのだが、何か、積み上げて生きたい・・・積み上げようと思えるものを見つけたいと思う。何かすべてがまだまだ曖昧だからいけないのか。やることが多くて手が回らないのか。言い訳ならいくらでも思いつくのだけれども。
善く生きる、って難しいですねえ。