つまらないものには価値がないのか

自分が嫌いなものの一つとして、一部マスコミの程度の低い報道がある。
ニュースは決してエンターティメントではなく、事実を伝える報道であるべきだから、面白くするのはそのニュースを加工する二次媒体以降の人であると思う。
これほどニュースが大衆化するのであれば、公営のほうがよっぽどいいんでないかと思うときがある。政治も、全てがというわけではないが、一方でオバマの誕生が叫ばれている中、漢字力がどうのという報道を、堂々と、まるで当然であるかのように、並べて報道されると、日本に住んでいる自分としては残念な気持ちとなって萎えてしまう。質問する政治家もそうだが、それを大々的に報道するのもどうか。いや、別にそういう新聞が一つあってもいいのだが、最近の決まりそうな法案とかの話とかに反応する層も一定数はいる(と思う)わけであります。そういった内容をわかりやすく説明するほうが、たとえ注目が集まらなくても、そこに価値はある。見る人も、確かにいる。
面白ければいい、視聴率が取れて注目が集まればいいという発想は別に芸能ならいいのだが、何でそれを政治とか外交とかでやるのかなと思う。淡々と伝えてくれればそれで十分である。通り一遍の質問しかしないというのも問題だが、揚げ足取りみえみえの質問ばかりというのも、本人は赤穂浪士の気持ちかもしれないが、そのために本来生じるはずだった大切な質問の時間がなくなったという機会費用を考えると、マスコミの現代の行動は実に残念だ、残念に思う。
今はむしろ、視聴率や注目とは別の基準が必要じゃないか。情報の重要性をはかる指標とか。つまらないからといって一面に載せないといった、そもそもの業界の風土や、受け取る大衆の側にも問題はある。
つまらなくても、内容の濃いニュースが見たい。言葉遊びや内容のない記事は正直飽きた。それはほかのエンターティメントで十分だから、普通の、つまらないニュースがみたい。