行動のデジタル化

もう2008年も終わりですね。仕事をもっと効率的にやりたいなあと考える一年だった。自分のライフハック的な部分をもう少し確立する必要があるなあ。
時に、今の段階で人間の行動をどれくらいデジタル化できるだろうか。

  • 議事録・人の教えなどを紙に書く→電子ペンで書く・タッチパネルに書く  もしくは、→書いたノートをスキャナで取り込む→文字認識
  • ちょっとした思いつき、メモ、ガッと文書を書きたいとき→pomera 
  • もらった資料→allpdf→ocrで文字認識
  • 音声→ICレコーダ→音声認識ソフト

これらの電子テキストデータをどんどんメールにしてどこか共有できる場所に送るのが一つのやりかたかな。その人の仕事の流れがわかる。で、その人に聞く前に、まずその共有メールを見る。「全文検索」することで、つど必要な情報はあらかた得られるはずだ。というかそれが目的だ。
別に仕事サボってるかチェックしようってんじゃない。人の業務を追えたり垣間見たり共有することで得られるものっては多い。日ごろ人がなにやっているかって、あんまりわからないものだ。
何か、情報を出し惜しみするのがえらいかのような風土がある。突然成長した風に見せてギャップを見せたい?みんな自分に聞いてくるから仕事が回ってくる?仕事をやった気になっているのは自分的にはいいのかもしれないが、決して効率のいいものではない。仕事は優越感を満たすためのものではなく、忙しそうにするものでもなく、+αをいかになせるかが大切だ。仕事がなくなっていくことは無能じゃなくてえらいからなのか。そもそも聞いてくるって事は、知るべき人に情報の落としこみがされていないってことであって、自慢げに教えることでその人がえらいわけでもなんでもない。アウトプットできてなきゃ意味ないし、出しているだけの価値しか実際、ない。
思うに、すでにある情報をきれいにみせようと資料作りにいそしんだり、よく見せようと見せ方を考えたり、無論それは大切な要素だが、仕事の生産性としては本質ではない。情報は知った時点でそのままそのものをすぐ出して共有されるだけでいい。そんなグラフとか必死でつくらなくてもいい。そりゃあ、経営陣や外部に見せる用の情報として、いろいろと工夫するのはいいが、業務の中でそこを気ぃ使う必要はない。
日常の自分という存在と業務もある程度テンプレ化できるわけで、どうしようもなく稼動をとられるイレギュラーなことに全力をいつでも注げるようにしておくべきだなと思う。日常の業務に追われていてはいけない。息を吐くようにやらないとなあ。
あ、ちなみにこのブログはもちろん私の思考のままに落書きする場所となっていますよ。最近その傾向強いなあ。それ以外のことも書きたいのだが・・・内容が重いため下書きになって眠っているものが多数。。。一度整理しないとなぁ。
2009年もデジタル機器にはいろいろと期待している。いい年になるといいな。ブログを読んでくれた方、よいお年を!