映像ビジネスが臨界点を超えないのは

映像配信のビジネスが騒がれて久しいが、いま一つこう、爆発的な成長を遂げないのはなぜかを考えた。コストの話や敷居の高さの話は汎用的過ぎるので、少し別の視点から。

一つは、映像はそのリアリティさがゆえに、プライバシーや社会問題にデリケートだからだと思う。先のテラ豚丼問題で、そのことを感じた。あの事象を文章で伝えることと、映像で見たときのインパクトはあまりにも違うと。いくら形容を尽くしても、なかなかあの状況を、短い文章でかつリアリティを持って語ることは難しい。殺すという言葉と、鉄砲で頭を撃たれる映像を見るほどに差異がある。伝える情報量の多さは、「見られている存在」に多大な拒否感と抵抗感を与える。許可を取らないで映像をアップなんてしたら、大変なことになるケースが多いだろう。言葉なら、いつでも好き勝手書けるのに対し、その差は大きい。
二つ目は、映像は良くも悪くもムダ部分が多く、一度に多くを消費することは難しい。一時間の番組は、一時間見るのにかかる。これをいかに圧縮して「見た気になる」方法は、4倍速視聴などの選択肢も含め、進化が待たれる部分である。イメージとしては、一時間の映像を5分で見るとしたら、新聞の中でも見出しだけ読めるようなイメージ、その中心内容だけは把握できるような形であれば、短時間で気軽に見られる。
三つ目は・・・これは数年後には解決に向かうと思うが、動画視聴のモバイル環境の整備がある。個人的に感じる部分でもあるが、たとえば電車乗っている暇な時間になんとなく今まで見たかった映像を見ていると、時間を非常に有効につかえた気分がして愉快になる。自由な行動が制限されているとき(公共の場にいるとき)、受動的なコンテンツは威力を発揮する(ただしエロは除く)。
映像は、現在キラーコンテンツが少ない。その点、ニコニコ動画のシステムはキラーコンテンツを生み出すコミュニティとしてはお世辞じゃなく最先端だと思う。まぁ、内容が偏ってるなど、突っ込み所はあるにしても。
映像はもっと、気軽に写し、映されていいんじゃないかとも思う。今でも、コンビニやビルの中などに入ったら、防犯カメラで写されているわけである。プライバシーありきで行動制限をもとに考える世界はあんまり面白くない。著作権でガチガチに固まった某業界のように。むしろ、現代の、一部の芸能人だけがTVに写り、ギャラがうなるほどの金が集まるような、そんな状況こそ異常なのではないかと、少しは思ってもいいのではないか。
地デジがいまだに普及率半分くらいなのも、VODビジネスがなかなか浸透しないのも、根本的に映像が人に与えるインパクトや心理状態について、研究がなされていない、というかそういった研究をふまえたルール作りや政策が反映されていないからではないかなと思う。現在某国でも社会問題となっている、オンラインゲームや、映像が人に与える影響も、今は感情的な議論や業界の意見を反映した一方的な主張しかあまり聞こえてこない。映像に関して現在トップを走っているゲーム業界に日本の映像配信ビジネスや政策のルール作りを任せたほうがよっぽどいいんじゃないか。
映像に対する価値観は、生きているウン十年間にこれから大きくかわっていくだろう。もうテレビという媒体を見なくなって10年弱と久しいが、個人的な望みとしては、ただ面白い、感動するようなクオリティの高い映像に、一つでも多く触れたいだけなのである。やはり、映像でしかわからないことは数多く、ある。