打ち出した言葉の重み

無職の元東大生「教科書と違う現実が…」 文科省幹部を殺害予告
逮捕の件、同年齢ということもあり、自分にも人ごととは思いにくい。
しかし、ネット上に殺害予告をして逮捕されるケースが出て久しいが。頭でなんとなく理解している部分と、なんか納得のいかない違和感がいまだ残る。いまはどうにも対処がモグラ叩き的で、さまざまなケースを包含していないからだろうか。
そもそも。インターネットが半ばブラックボックス化してしまっているがゆえに、リスクを正当に、人間本来の素朴な感覚として認識しづらいところにひとつの原因がある。赤信号はわたっちゃいけませんという感覚や、人のものをとってはいけませんという感覚は教育されているのに比べ、インターネットに関するそれは希薄だ。最近の小学校などでは、そのような教育はなされているのだろうか。
まぁ、世に犯罪がなくならないようにこういったケースはゼロになることはないだろうし、ことさらレアケースをとりあげてどうのこうのいうのもナンセンスな話だが。
違和感のもうひとつは、その実現性である。インターネットはその自由さからさまざまな可能性が考えられるし、危機意識が甘いかどうかの問題もあるだろうが、どこの掲示板やブログに書いたとしても、それが落書きではなく即犯行声明とみなしてしまう、その極端に話を大きくした考え方だが不思議だ。
そもそも今、対処方法が逮捕か何もしないかの有無問題になっている時点でなぁ。いまやインターネットをある程度やっている人ならうかつな書き込みは即逮捕につながるということは認識しているだろうが、それを当たり前のものとして、自分の中の常識のひとつに加えてしまっていいのかという納得のいかなさがある。国家の警察には勝てないと、結果を無批判に受け入れて右へ倣うという発想はもちろん私も感覚としては同意できるが、だから警察の今のやり方がよいかどうかは別の問題だ。
うっかりとタイプミスをすると、それが犯行声明になり得る。俺も極端なこと言ってるなぁとは思うが、感情の爆発のあまりネットに言葉があらく、不穏当なものになったとしても、それを抑制しなければならない、ということは残念だ。自分の気持ちのリアリティを減少させてしまうから。死ねや殺すといった言葉は、今の若者の世代では意外と日常語のひとつなんじゃないかとも思うし。
まぁ、今、すべてが変わることがないとは思うが、インターネットのほとんどの場所で不穏当な言葉許されないのであれば、逆にそれが許される空間、というものがあってもいい。あと、警察はネット上の言葉の氾濫のうち、どれほどを把握しているのだろうか・・・通報したら対処、ということだろうか。すると、世の中には通報する人もまた、いるわけだ。通報する人は、善意の第三者というわけか・・・。うーむ。どうでもいいが、はてなで犯行予告をすると、注目エントリになるんだろうね、ほぼ間違いなく・・・(微苦笑)。