レベルのわからない世界

相手や自分のレベルがわからないゲームは面白いのかな。ゲームは基本的に神視点でキャラクターのステータスはわかる。目標がすごくわかりやすい。
思考実験として、人間をある決められたレベル制で管理したら、短期目標ができてやる気になるだろうか。分をわきまえることはありそうだ。レベルの違う相手と争おうと思わなくなるから。自分のやるべきことが何か、何が足りないかは明示的になる。
まぁ基準や課題はたくさんあるか。まずどんなレベル(力とか知能とか)かがあいまいだから。また、生まれ持った身体能力としてもともとのレベルが異なって設定されることに違和感を感じる文もあるかもしれない。
日々、他の人と話している中で、「この人は今どのくらいのレベルだろう」「どんな立位置にいるのだろう」と思うことがある。人間の言葉は、その立位置によって捉え方が大きく変わってくるから。何を経験し、その言葉を発しているかは、純粋に興味がある。あれこれ考えず、納得してしまえば楽なのだが。
テストによる成績はその人のレベルを表し、資格はその人の技能を示す。それはわかりやすい指標の一つではあるが、大学に通って思ったことは、大学で得られることというのはあまりにも個性的で、それぞれの道を突き進んでいくといった意志と行動と以外に、評価の軸すらよくわからない状況だったからだ。もう、その人が満足していればいいという世界になっている。もちろん人生というものがもともとそうで、むしろ統一的なレベルにこだわる方が、小中学生の成績や、ゲームから連想した発想なのかもしれないが。
自分の立位置、という言葉を前からよく使っていたが、自分が今どんな状況にいるのかがもし詳細にわかれば、いわゆる巷で話題の自己管理というやつがもう少しスマートにできるかもと思ったからだ。より効率よく生きていけるかと思ったからだ。あと一人の敵を倒したらレベルが上がるかもと期待して勉強する。自分にはまだこれくらいの体力が残っているから、これくらい頑張れる。これを食べるとこうなる、今こういう状況だからこれをしてはいけない、ということがわかることは素晴らしいかなと思ったわけだ。もちろん神視点で世界中のステータスがわかればいいが、それだと個人情報も何もあったものじゃないし、第一生きていることに絶望しそうだ。自分だけでいい。自分を過不足なく把握することは大切だ。自分をいかにうまくコントロールするかが、人生というゲームの醍醐味でもある。
恐ろしいことは、知らないこと、認識しないことである。知らない方が幸せなことも短期的にはあるが、全体最適としてはやはり自分を知っている方が良いのではないかと思う。自分をある基準で統合的に管理するソフトがあれば、もう少し快適で、効率的なライフを遅れるかもしれない。近未来に、そういった世界が現出する可能性が十分にあるだろう。まぁ、今のところはwiifitとか正確診断とか、各健康グッズなど、部分的なものでしかないが。己を正確に知ることで、ゲームではなく、自分のレベル上げに必死になることができれば、それはまさに成功といえるだろう。