なぜ、そのサービスを使うのか

これからネットが発展したとして、一つの到達イメージが「なんでも即時にその人のほしいものを引き出す」ツールとしてのネットだ。行動ターゲッティングの最終形と言ってもいい。一人ひとりに合ったオンリーワンサービスの実現が、ナンバーワンのシェアを誇ることとなるのだろう。
それを逆に考えると、それが致命的にすれ違っていれば、どれほど素晴らしい品質のサービスを提供したとしても、猫に小判状態で、誰も利用しない。まずきっかけが生まれない。人数が集まらない。口コミだって生まれない。
新しいサービスを提供するとき、それが真に必要とされているかどうかのリサーチがまず必要だ。データは偏りが出るだろう。それを疑い、一定の結果を引き出すことに努力すべきだ。100%はないので最終的には、決め付けと決断による部分もあるかもしれないが、それまでは調査に徹するべきだ。自分が、自分のような人がつかわないと思うもの。ほしいと思わないものを、誰が欲しがるだろうか。人のアドレナリンをだすような売り込み方をすべきだ。・・・マスコミなどの煽りを嫌う自分としては、釈然の行かない部分はあるが、刺激的なキャッチフレーズは、一つの効果的な方法だ。
なぜ今自分がこうしたいと思っているか、それはふと頭の中から生じるもので、自分は結構無意識に選択する。だが、環境面を見れば割と妥当な選択であることが多い。俺の選択は俺がしているように思えるが、実は俺じゃなくてもたぶんそうしているだろうし、そこに至る過程に多少の違いはあったとしても、結論の選択が限定されている以上、いずれかに偏る。
一例を挙げる。政治で、自民党か、民主党かを選ぶとする。俺が自民党の全てを好きなわけでもないし、民主党の全てを好きなわけでもない。ただ、選挙となると、いずれかを選択する。選択して、後付けで自分を納得させるのだ。正解はない。
まず、使われるサービスであるためには、選択肢に入る必要がある。何かと比較して、それを使いたくなる誘因はあるか。そして、そこから戦う。使うなにか、背中をそっと押す後一押しを、誰か、何かがする。口コミや広告やフレーズや誘導、連想、イメージ、それは何かはわからないが。その最後の一つが決め手となって、使う。
使う。この後、その人が継続的に使い続けるかどうか、それはまた別のお話だが、とにかくその使うという行為を、何かがはじめなければならない。それはかつて、営業や販売によるものであっただろう。今もそうだ。しかし、その商品、サービス自体に仕掛けを施すことも大事だ。一手先ではない、五手先を見て始めて理解できるような仕掛けの一手、それこそが現代の商品やサービスにおいて求められているものの一つであるように思えてならない。