行動のもととなるもの

そうしたいのか、そうあるべきなのか、何かがそうさせているのか。行動に答えは見つからず、ただその動機から、自分のほんとうの意志をさがす。自分なのに、自分がどうしたいかわからないなんてバカみたいだが。行動に基準を決めるのは自分だが、慣性に反する決断には、少しの勇気を伴う。
経験はしばしば恐れを呼び、二の足を踏む。自分の自信のなさはまさに行動となってあらわれる。
俺がしたいことは、すればいいじゃないかと思う。俺も思う。だが現実、していない。本当はいやなのか。後で後悔するような何かがあるのか。今の俺には考え付いていない何かデメリットがあるのか。そうした不安は、今、したいと思っている自分をためらわせる。
君はわりと自由に行動する人だね、と冗談交じりに、正直な感想なのか、ちょっとした皮肉なのかわからないことを言われた。自由に行動して何が悪い、むしろ何故他の人はしないんだと反発したくなることもある。だが一方、意に反しても行動することで、守ろうとしているものが別にあることもわかる。それはおぼろげに見える。おぼろげすぎて俺には見えないが。目にうつらない概念は難しすぎてわかりません。
自分の体は100%自分が支配していると思っていたが、どうやら全然、そんなことはないらしい。自分の気持ち、自分の行動を、今、このブログを書いている表層の「自分」が理解することからはじめなければ。