気持ちを伝える

実際に会うことで、気持ちがを伝わるってよく言いますよね。この、気持ちってやつは何なんだろうか、と素朴に思う。はたから見ていると、気持ちによって伝わるのは、その内容がいかに重要か、そうでないかが感情にあらわせるくらいで、内容そのものは変わらない。あと、互いに話している間だけ、認識の違いを、質問や確認によって修正できるメリットがあるくらいだろう。
気持ち、はロボットには伝えられなさそうだ。気持ちは、伝える相手に心と意志があることを前提にしているからだ。気持ちとは何だろう、と考えていくと、相手のことを「どれくらい」どう思っているか、自分が「どれくらい」どうしたいのかをあらわす量的なエネルギーなんだろうと思う。

私事になりますが、私はプレゼンがすごく苦手だ。緊張して、言いたいことを忘れてしまうことも多いし、気のきいたパフォーマンスはできない。おまけに手や腕がよく動いてしまうことが多い。これはどうやら、今、自分がしゃべった言葉だけでは伝えきれていないな、と周りの反応を見て思いつつも、うまいフォローが思いつかないので、手ぶりなどの動作を入れることで何とか場を取りつくろうとしているんだろう、たぶん。気がついたら手や腕が動いている。その挙動不審っぷりが友人には見ていて面白いのか、からかって真似されたりする始末である。

一方で、よく「気持ちは、伝わったよ」とフォローされることが多い。そうか、内容はあんまり伝わってないのね・・・orzと凹みつつ、それでいて、気持ちが伝わったんだからいいや、と少し満足している自分がいる。


そこで何が、伝わったのだろう。
気持ちは、互いに顔を見合わせなければ伝わらないものなのだろうか。
メールや文章からは、気持ちは伝わらないのだろうか。

考えていくと、気持ち、という言葉は、定義があいまいだ。考えだすとはまる。わかることは、気持ちっていう「何か」があるらしい、それは大切な要素だ、ということくらいだ。

ちなみに、先ほどのフォローには後日談がある。気持ちがこもっているってどういう意味かなあ、と自分で考えたり、言われた人に聞いたりした。それらの話を総合すると、気持ちどうこう以前に、まず、どうしても伝えたいことが、先にある。それが思うように伝わらない。もどかしい。でも何とかして伝えようとする。これが、「気持ちがこもっている」と思われたゆえんのようだ。

確かに「気持ち」には、強く伝えたいというある方向へのエネルギーが前提としてあるのかもしれない。どれほど気持ち、感情移入がされているかは、おんなじ人間同士だし、自分の体験に照らし合わせることもできるので、見ているうちに大体わかってくるものだ。
時に、内容なんかよりも、その人自身の必死さに心うたれることがある。

気持ちに形はなく、言葉などの形式に変換して、相手に伝えられるわけではないようだ。いわゆる行間や雰囲気に代表されえるような、ボディランゲージで伝わる類らしい。形がないから、残酷なほど黙殺することもできるだろう。互いに、伝えよう、わかろうとすることではじめて伝わる、頼りないもののようだ。しかしその時に伝わる、意志という情報量は、A4用紙数枚にうめられた、謝罪の言葉よりもはるかに重く、大切だ。

今、まさに気持ちを伝えようとしている自分に気付いた。