アウトプットが難しい

自分が学んだことや、得たことを他の人にアウトプットするのって本当難しい。何でこんなにも伝わらないの、ともどかしく思うことがよくある。相手は、こちらが必死に説明しているのを、涼しい顔で聞いている。表情に、「?」を浮かべながら。
知識が増えるのはいいことだ。私はそう思っている。様々なことに首を突っ込んで、知識や情報を溜め込むのは好きである。一つの趣味であるとすら言っていいだろう。子供のころ、カードなどを特に用途もなく集めていたように、今は情報や知識を収集するのが趣味となっている。典型的なネットユーザの一つのタイプでもあるといってもいい。
問題は、そうやって様々な所からインプットしたこと、それ自体で満足してしまい、アウトプットのことをほとんど考慮しないことだ。情報が他へ行かない。それはもったいないことだ。
今まではそれでも良かった。ほとんどのことは自分の中で完結していたから。個人の知識を高めていくことは、試験などの競争に役立ったこともあったし、自分にとってプラスに働くことが多かった。だから、それ以上特にアウトプットする必要を感じなかったのだ。
だが、社会に出るとそれは違った。自分だけが知識を溜め込んでいても、仕事はちっとも進んでいかない。集団での仕事では、自分の持っている情報や知識が多いことは、逆に不幸の種となることもある。要は、仕事や責任が集中するのだ。それはいいことでもあるが、体は一つだ。限界はすぐにくる。かといって周りを見回しても、自分のかわりにやってくる人はいそうにない。
自分がなぜ、この仕事をしているか。それは、要領を知っているからだ。何をすべきか、どう処理すればいいかを知っている。だが、自分は忙しい。他の人にやってもらおう。これが・・・・・例え簡単だと思えることであっても、本当に難しい。頑張って教えても、相手は自分の思う通りに動いてくれないことが多いし、質問も多く、かえって手間がかかってしまうことすらある。ままならない。
どうすれば楽できるか。時には知識を惜しまず、全ての仕事に必要な情報を他人に伝えることができたら。自分と同じような知識を持っている人を何人も作成できることとなり、仕事が手分けしてできる。
みんなで頑張れる、これは理想的だ。まさに、集団の力を生かしているといっていいだろう。
だが実際は、何かあるたびに、互いに足を引っ張り合ったり、いがみ合ったりする。1+1はちっとも2にならない。何でこんなにうまくいかないのか、先輩に聞くと、「大人の事情でねぇ」と返される。いろんな場面で使える、便利な言葉だなと思う。
自分の持っている情報や知識を「相手に伝える」、この方法が難しい。情報を託す相手は、あんまり選べないことが、実際は多い。自分と、もっているバックグラウンドが違う相手に、必要な情報を適宜アウトプットする。これの何と難しいことか。もし、人間の脳がハードディスクでできていたら、相手にデータをコピーするだけですむのにね。
情報共有だなんだと、様々なツールがあっても、見る人がいなければ意味をなさない。理想論よりも、人の心情を慮ることが必要だ。そして、アウトプットがうまくなること。誰にでもわかりやすい形で、必要な部分を、わかりやすく記録として残し、他の人に伝えていく。何でもアウトプットすればいいとは思わないが、アウトプットのうまい人間こそ、「できる」人何だと思う。日々、精進したい。