情報を得られる量は場所によって異なる

友人が飲み会の場所を探しているとのことだったので、PCから検索して、ネットからガンガン携帯にメールを送っていて思ったこと。
日本には地形的に中心地、へき地とあるように、ネットにも実は中心地とへき地があるのだなと思った。
ネットの世界自体のアクセス時間は0に近いが、PCから、モバイル端末から、携帯からでは相当違う。もとい、本人性や情報保護がキツくなっている昨今の状況を考えると、会社、大学からでも自宅の状況とは程遠い(アクセス制限やログ、周りの状況を考えるとエロい画像の一つも見れない)。
携帯で情報を探すのが、私は苦手だ。アクセスも遅いし、操作しにくいし、応答しないこともよくある。
家に帰ったら、情報が水のように蛇口からバーっと出てくるのに対し、携帯では、懸命に雑巾を絞っているかのように情報が少しずつしか出てこない。ソフトバンクのインターネットマシンやイーモバイルなどを使えばもう少し効率よく摂取することはできるだろうが、やはりPCとは歴然とした差がある。
もし仮に、何でもできるし、やってくれるXがいるとして、携帯で彼に頼んでおけば、的確に自分が望むものに近いアウトプットが出るのであれば、それは非常にすばらしいなと思った。すくなくとも、検索面に関しては。携帯のネットで調べるよりも、PCの前に座っている誰かに頼んだ方が、「意思が的確に伝われば」これほど便利なことはない。まぁ、ニュースをみたり、何か漠然とした目的のもとでインターネットを使いたいとなると、自分でゆっくり見たほうがいいのだとは思うが。ただ、万人が認めるインターネットの便利性は、やはり情報(知りたいこと、望むこと)の探索にある。

一方で、世の中はせちがらい。わざわざ、いきなり誰かから電話がかかってきて、取るに足らないことを質問されても、たまにならいいと思うが、いつもならうんざりしてしまうだろう。それにお互い気を使うし、タイミングもある。わざわざPCを付けてもらうのも、さすがに悪い。

そこで素朴に思うのだが、ここに電話すれば多くの知りたいことを解決します、みたいな電話サービスが現れてもいいんじゃないかな、と思う。電話というツールはいまだに用途によっては健在だし、必要不可欠なものであることがわかった。世代全体を考えると、やはり電話がまだ世間でいうポピュラーなのかもしれない。
まあ、私は友人をそういう形で使ったことは一度しかないが。友人でなく、友人の目の前のネット世界に聞くという所が、ありそうで実はやや非凡なのかもしれない。ネットはあまり使えないが、友人が多いというタイプがよく利用しそうな手だな。あとは、ずうずうしく頼める度胸があれば、まあ断る人も相違ないだろうとも思う。
情報は、得たいときに、得るべきものを得る能力は、いつ何時もシビアに求められている。要は、できるのか、できないのか。知っているのか、知らないのか。方法を考えるのも実力である。
ふと、夜空を見上げると、ちっぽけな自分を地図ツールやGoogleMapから、見下ろしているネットユーザたちがいるように思える。