人すら記号化され得る時代の中で

もし、300年後から今の日本を見たとき、2008年の「今」はどのような説明をされているのだろうか。
思うに、今は本当に「人間」をめぐって、正しさや価値観があいまいになっている時代であるように思う。人間とは機械のように記号によって説明される存在なのか。人間の目的は何か。人間はどう定義されるのか。ips細胞にまつわる倫理的問題を、どう解くか。難問は数あり、答えはなかなか出ない。これらの問題は形を変え、日常の事件や会話に色濃く影を落としている。
今の時代を生きている私たちは、300年後の未来について知る術はないし、たぶん知る必要は無いのだと思うが、あえて思いを馳せてみる。
人の心や感情のメカニズムが完全に解明されると、人間は記号で説明されるようになる。これは遅いか早いかの問題であり、やがて解明されることだと私は思う。
その中で、人は何のために存在するのか、価値を求めるのか。近代より生まれたと言われる自我の見直しが生まれ、「人」とはどういった存在なのか・・・といった共通見解、最終的結論が、何かしら、出てくる。その時、初めて人は、「人間とはどうあるべきか」について、真に理解するのだろう。いつになるか、それはわからないが。
今は、「なんで?」という疑問に、明確な答えを出せる人がいない。多様な価値観は絶対的な正義を崩壊させ、人に「迷い」と「疑問」をもたせた。思考停止よりはよっぽどいいと思う。ただ、科学や宗教、ありったけの経験や知識をもってしても、”人がなぜ生きるのか”に対して心の底から納得できるような答えを出してくれる人はいない。むしろ何か、人が日々生きることに対し、それらのことはまるで邪魔者であるかのように、会話に上らず、語られず、寝る前にふと思いつくようなものとなっている。ただ、それら人について日常思う素朴な疑問を多くの人が内心に持っていることは、最近の本やマンガのベストセラーを見ても窺える。カイジなどはその典型だろう。
答えはちっともわからないが、日々やることだけはたくさんある。うまく人生を生きるには、タブーに触れない程度に日々をほどほどに生きる、そんな生き方がいいのかもしれない。私の場合、考え出したら一直線に突っ走っていく所があるので、修正したほうがいいのかもしれないがなかなかままならないなあと思いつつ、自分の思いと違うことはしたくないなあ、とも思う。
最後に。こういった内容を書いたブログなどがWeb上で読むことができたら、教えていただけないでしょうか。なかなか自分ひとりであーだこーだと考えても、先へは進んでいきづらい。Webでは新たな「気づき」を得ることが多いので、活用していきたい。