ツールの使われ方は多数決で決まる

ツールは、使う人がそれを"どういう目的"で使っているかがいかに多いか、によって世界が規定されているように思う。
最近、いかようにでも使え得るサービスが増えてきた。ブクマやスター、twitterニコニコ動画のコメントなどが代表例だ。使う人によって、それらは様々に形を変え得る。多くのユーザの意思と使い方によって、当初設計者が想定していなかったような(少なくともメイン機能としては)使われ方、世界ができるようになってきたと思う。
また、そういった広い使い方ができるサービスが今、受けているということもある。設計者によって使い方を完全に規定されるのは、そりゃあそれがすばらしくユーザビリティの高いものであれば普及するだろうが、実際は色々な感性の人がいることで、個々にあった使い方というものがある。その時に、いかようにも使える設計がなされていると、ユーザは満足して使いやすい。
そういった多目的ツールが与えられたとき、次の段階として、そのツールがどういう世界を形作っていくか、は使うユーザの多数決によって決まっていくと思う。当たり前の話なのですが、世の中がランキングや読者数によって人気順に選びやすいように、「皆がこう使っているからわたしもこう使う」、だけでなく、「皆がこう使うから私もこう使わなければならない」という圧力すら感じることがある。いわゆる空気嫁のようなものだろうか。もちろん、多くの人が使っている方法なのだから、大きく間違いはしないだろう。だが、私はそれにおもねるのはあまり好きではない。そういった長いものにはまかれろ的な発想が。(最終的にまかれたりはしますが)
また、特に過渡期のツールは、新たな補助サービスの出現によって、使われ方が大きく変わることがある。なんというか、「そういった補助サービスの存在を意識しない」もとで使っているか、「存在を意識した」もとで使っているかでは、使い方が必然、変わりうる。例えば運動会で、誰かが応援に来てくれることで、人のやる気はかわるように、気持ちや心理の問題だが、確かに使われ方は変わっているに違いない(証明したわけではないので私が思うだけです)、と思う。
人は、気づきを得ることで世界が違って見えることもある。サービスもまた然りだと思う。まあそういう風に「皆で作っていくサービス」という形がこれからのツールやサービスのあり方かもしれないが・・・私は、私の使いたい使い方を通したいなあと思う。