外に出て選ぶ楽しさ

今日、日本橋に行って色々と散財してきた。やはり楽しかった。
これには前日談があり、外でPCや周辺機器を買うことについて、詳しい友人に色々と相談した所、外にわざわざ出て行って買うよりも、価格comなどで全部調べて、通販でBTOして買った方が安いですよ、といったアドバイスを受けた。
結局、Webで値段など情報を調べたものの、出て行って買った。「外に出て行って買ったほうが実物を見れる」とか、「送料がかからない」などと、脳内で自己弁護したものの、やはりフツーに考えると交通費もかかるわけで、金銭的に考えると合理的な行動ではないように思える。でも行く。それは、楽しそうだから。
非合理的な行動を楽しむ、というとマゾみたいだが、行くことによって得られるものがなんかあるように思える。何かはわからないが、余分なもの・・と表現するような、目的以外の何か得られるものがある。
Webは効率的に行動できるし、必要な情報が入ってくる。それはとても有用だが、いわば不要な部分をそぎおとしているわけである。肉で例えると、脂身をとっているような・・・。
あくまで、効率的な行動は、限られた時間内において人が求められる行動であると思う。試験とか、締め切りとか、制限時間とか。そういった場合において求められるスキルであり、それ以外の場合において効率的な行動は必ずしも必要ではない。
大きく捉えると、人生を一つの制限時間と考えて、いかに効率的な行動をとり続けるか、と考えることは大切なこともあるだろう。そういう信条のもと生きている人は一定数いるし、いわゆる人生のレールなるものにのりつづけるためには必要なことなのかもしれない。でも疲れる。やってられるか(#゚Д゚)ゴルァ!!となる時もある。
濃密な時間もいいが、いつもそれでは体が持たない。適度に不要なものをはさんでこそ、人は心身のバランスを取れるんではないかと思う。
余談だが、WebのRSSを使っていると、有用だし、便利だが、情報が逆に濃すぎて1時間あまりで消耗してしまうという現象が私の場合起こる。あまりRSSが普及しないことの一因はそこにあるのではないだろうか・・・・。必要な情報が大挙して押し寄せてくる。情報が、濃すぎるのだ。原液では、ノドが焼けてしまう。
適度にそこに水ななんなり、余裕を作る必要がある。今日、道を歩いていても、色んなものが目に入り、それは、本日の目的のためには必要ない要素だが、純粋に楽しかった。あんな余裕を、RSS配信側、またはリーダ設計者が、読者が気づかない形でちりばめるのも、一つのユーザビリティの向上ではないかと思う。Webには、一瞬でアクセスできるが故に「道」がない。だから必然、余裕がなくなる。
結局何が言いたかったかというと、効率的ではないかもしれないが、そんな時間にいつも追われているわけでもないし、外に出てゆっくり見て回るのもいいなあということです。ムダ(?)も大切。常にあせって生きていると、人生楽しくないものねえ。

追記:他のエントリを読んで気づいたが、この話はライフハックにかかわる問題をはらんでいるのだな。効率性、いかに生きていくかは永遠の課題。