Webでお金を払う仕組みについて

外の世界では、実に様々なビジネスや商業活動が成り立っているのに、Webではなぜ成り立ちにくいのだろう。
理由の一つは、支払い意思額と、実際に支払われる額との乖離によるものだと思う。
要は、こんだけ支払いますよーというコメントや意見は数多くあっても、実際に支払う人は実はほとんどいなかった、という話。何か価値あるコンテンツがWeb上にあったとして、「これはすごい価値があるだろう」「これなら○○円はらってもいい」というほど認められていながら、実際販売しだすと閑古鳥が鳴く、というような。これを行動経済学的に考えると、支払う時期が先で、しかも払うかどうかさえ曖昧なときは適当に想像し、高めの額を言っても抵抗はないが、実際支払いを目の前にすると、「○○円」失うことが確実になってしまうため、なんか急に払いたくなくなる心理であると思われる。
一例を挙げると、1000円を、80%の確率(買うかどうか決まっていない、という意味で)で、一ヶ月後に失う事象と、1000円を100%、今失うこととは等価ではないわけだ。じゃあ、その1000円は、800円なら言いかというと実はそうでもなく、本当は500円になっても買わないかもしれない。お金を失うことが確定することが非常にもったいなく感じるのだ。
失うことが確実になることを実態以上に嫌がる心理は、株におけるナンピンや、損失を補填しようとしてさらに深みにはまる心理と似ている。もちろん、どれくらい楽観派かにもよるだろうが、人は基本的に希望にすがりたがる。あいまいな状態だと「いいように」解釈してしまうのだ。自分の脳内で。
もう一つは、Webの文化によるものだろう。基本的に何でもタダで、共有する。お金を儲けるという論理やシステムを持ち込むこと自体をナンセンスと考える人もいる。とにかく、商業主義を毛嫌いするわけだ(参考:嫌儲の精神
また、Webは匿名なのでフリーライダー問題に拍車がかかるということもあるだろう。金を払わないことで誰かがとがめるというプレッシャーがない。今、募金システムやカンパなどのシステムをとりいれたアプリケーションをよく見るが、うまく回っているのか、気になるところではある。
たぶん、Webはものも存在もあいまいなため、そもそもきちんと金を払うシステムを構築していくということ自体が向いていないのだろう。そんなこといっちゃ身もフタもないが。
なんとか人が本来の感情を維持したまま、欲望のままに抵抗なく課金するシステムが構築できればいいんですけどね。別にコンビニでお金払おうが、百貨店で買い物しようが、マクデでコーヒー飲もうが、CDや日用品を買おうが、誰も損したなんて思わないわけで。Webではコンテンツを買うことを惜しく感じてしまう。ヒトの性格にあった課金システムを分類提供できれば理想ではあるとも思う。
ちなみに、一つ、抵抗なく(というか、抵抗より欲望が強い)課金するシステムが現在Webで機能している。それは、サービスに対し、熱中して依存症になる時である。ゲームやその他になんでそんなにお金をつぎ込むの?という話をオンラインゲームなどで聞いたことはないだろうか。本人からすれば、もう完全にそのゲームに入り込んでいるので、お金よりも目先のスキルアップがしたくてたまらなくなるんですよ。これはゲームに限らず、Web上のサービスに一定以上はまると、起きる現象である。いわゆるヘビーユーザとよばれるやつですな。
そんな感じで、Webではビジネスモデルが成り立ちにくい。現在は広告モデルが有力であるが、他のモデルも模索されているところ。うまく発見したらノーベル経済学賞ものです。
そういや、大阪府知事選で橋下氏が当選しました。やっぱりTVの知名度は偉大だということでしょう。それは間違いなく「価値」であるわけです。Webも、多くの人々に見られるという事象はあるのだから、それを何らかの「価値」にうまく変換できないだろうか。広告とはまた少し違った「知名度を金に替える」という形で。
ニコニコ動画時報モデルは、斬新だが、やっぱり好きになれないなぁ・・・・・・・・・私は。