Web上というコミュニケーション距離の居心地良さ

リアル84歳だけど何か質問ある?の記事をみていて、Webの良さを感じた。
互いに関しての情報がない方が、その言葉の内容そのものを偏見なく見ることができる。コミュニケーションの距離ってのは本当に大事。
ニコニコ動画でも、ゆとり乙wwwとかいいながらも、Webで壮年層と若年層、ほかさまざまな考え方の人々が共存できているのは、この情報の少なさ、距離の遠さにあると思う。
Webは最近、セキュリティ上の不安やフリーライダー問題などもあり、もっと一人のユーザの情報を出さなければコメントができないようにすると言う論議(要は実名制などの話)がちらほら見られる。もしそうなったなら、おじいちゃんが言っているような内容を、気兼ねなくしゃべるような状態は変わってしまうだろう。

記事を読んでいて、便利さと楽しさはトレードオフであること、不真面目に生きる、という話はかなり勉強になった。別にこの人が84歳かどうかはどうでも良く、自分にとって価値ある内容が読めたなら、それ以上疑う意味があまりないな、とは思う。
最近skypeをしても思うことだが、距離を縮めることで、より相手の輪郭が見え、その人が発する言葉以外の付加情報が多くなるため、良くも悪くもそういった付加情報をもとにしたバイアスをかけてしまう。テキストコミュニケーションだと楽しく会話できていていた人とでも、skypeや対面で同じように楽しくしゃべれるかというのは別物だ。もっとも、ずっとテキストで会話していたのなら、テキストで会話していたときの相手のイメージというものが、対面であったときに投影されるということはあると思うが。
要は、テキストコミュニケーション以上に情報を伝えることが出来る状況ができると(顔情報、声、名前をはじめとする相手の社会的情報など)、たしかに伝える速さは早くなるかもしれないが、嫌なものも見えてくるわけだ。skypeでもしゃべり方や癖が(゚Д゚)ウゼェェェ 、とか、対面だと顔や表情、しぐさによって、この人はこういう人だな、と推測した上で言葉を聞いているので、どうしてもバイアスがかかる。そういった情報を付加することは、一見より実態に即した内容を捉えているように見えるが、実は違うと思う。なぜなら、その人の考え方や思いと、その人の表面的な声や姿は、本来関係がないからだ。
冒頭のおじいちゃんがまぁホントにおじいちゃんだとして、skypeなり対面で話すと、かなり意見が変わってくるのではないか。テキストによるコミュニケーションだからこそ、質問している側、される側の情報がわからないからこそ、コミュニケーションはバイアスがない形で内容本位の話が続いているのではないか。情報の足りない部分は「84歳のおじいちゃんというのはこんなものか」という想像と、「若いユーザはまぁ孫みたいなものか」と、身近なイメージによって一般化することで補完している部分はあると思うが。
これは漫画と動画、2Dと3Dのの関係にも言える話だ。情報量がただ多ければすばらしい、よりリアルに近づけば=すばらしいというわけではない。新情報によって明らかになることもあれば、一方で失われるものがある。それは人の想像部分である。
人の想像部分は、わりと自分の都合のよいように形成されている傾向があるため(自分バイアス)、相手の言葉を「いいように」勘違い、または誤解してしまうことにもなり得る。言ってしまえば、Web上では解釈による勘違い、誤解が常におこっているわけだ。
しかし勘違いや誤解=悪いことなのか?別に誤解してもいいじゃないか、とむしろ思う。企業のキャッチフレーズなんていわゆる誇大広告や、誇大広告に思わせ、「誤解させるような」フレーズなどがよくある。それで間違って買ってしまうのは、消費者との解釈との違いであり、当社では知らない、というわけだ。まぁ、それは金が絡んでいるし、詐欺に近いのであんまりよくないが、人と人がただコミュニケーションする場合において、80代と10代なり、50代と20代なりがコミュニケーションを行うという一点においては、そういった勘違いを含んだテキストコミュニケーションのほうが、逆に余計なことやバイアスを考えず、スムーズに行くのだと思う。そこに「自分バイアス」という勘違いがあるとしても、べっつにいいじゃん?何か問題あるの?と思う。
世の中には、一生知らなくてもいいこともあるし、勘違いしていた方が幸せなこともある。ブログだって、mixiだって、何だってそういう部分はある。ブログなどを見ている方は、たまたま間違ってアクセスしただけであっても、書いている方は、思慮深い、聡明なユーザがじっくり読んでくれて納得してくれることを期待する(いや、アクセスしてる人がみんなそうだったならまぁ幸せじゃないですか?少なくとも書き手にとっては)ニコニコ動画だって、再生数やコメント数を見て、ああ、多くの人が楽しんでみてくれたんだな、と、まぁ言っちゃえば若干自分の都合のいいように解釈するわけだ。それがWeb上の活発な活動を呼び、うまく世界が回っているなら。現在のWebのあり方は、やる気と幸せをよぶシステムと言えるんじゃないか、と思う。
もしこれからWeb上のあり方やルールについて論議していく上で、そういった人の心理作用なども考慮していかないと、ルールは完璧に整った、しかしWebには誰も寄り付かなくなった、などという状態を生みかねないと思う。