炎上をはじめとするWebの集団の力とルール作りの是非

今日、Webで炎上という現象は日常的なものとなってきた。背景としては、Webの利用人口が多くなったことや、何らかのものをWeb上に表現することを助けるサービス登場したことで、Webを通じて文章や絵などの作品を発表することが容易になったことがある。攻撃される対象が増え、そういった現象を煽る人が多くなれば、必然的に件数としては増えていく。
炎上は一種の吊るし上げに似た行為である。はたして、対象が倫理的、または社会的に許されざる行動をとっていたとしても、それに対し電凸をしたり身元を調べ晒す、コメントによる反論から誹謗中傷のようなものまで、攻撃することが是なのか。
最近の豚丼騒動やケンタッキーの話はその典型的なパターンだ。誰かの問題行動に対し、多くのユーザが反論、非難、攻撃をはじめ、炎上規模を広げようとする煽りユーザも見られる。他にも、企業の行動や昨今の話題についてもユーザの行動を煽るような動きが随所で見られることがある。そういう意味では、炎上というものはWebのある大きな「集団の力」が個人の問題行動へ向かった時、そのパワーのアンバランスさから「炎上」と呼び名される。即ち、その集団行動が企業などへ向かう時は、企業側も相当の理論武装や法的武装をしているため、企業に対抗する力として、Webの集団の力がその役割を果たすこともある。
Webにおける「匿名による多数の力」は確かに存在し、様々な論議を巻き起こしている。これらの是非はWeb上でも立場や考え方によって見解が分かれている部分がある。今回は、その話について議論を深めていきたいと思う。
まず、炎上肯定派を弁護してみよう。Webは匿名状態であるため、人間の本能的行動や欲望がそのまま表出しやすい場である。さらに、法的整備も未開拓で、いい意味でも悪い意味でもWebはその線引きが曖昧な部分が、それらの行動を助長しているといえる。やや強引であるが、これらのWebの状態を万人の万人による闘争であると捉え、この混乱状況を避けるための抑止力として、匿名による集団の力が必要なのではないか。現実世界にも、行き過ぎた行為に対し、法による見せしめのような取り締まり行為は日常的に見られる。Webも、誰もそういった秩序を保とうとしないのではあれば、匿名集団の目と行動によって助長行動を止められるのであれば、コストもかからないしいいんじゃないか、という話である。たとえ匿名集団の個人個人がよこしまな考えや雰囲気だけで煽るなど、およそ倫理的に正しいとはいえない行動をとっていても、結果的に、Webがそういった行動によって良い秩序が保たれるのであれば、そういった世界のあり方があってもいいんじゃないか。そもそも、世界の全てのユーザを巻き込む状態にWebという仕組みがなっている以上、統一して権威ある存在は基本的にないのだから。
逆に、炎上を非難してみる。たとえWebが結果的に良い状態となったとしても、個人の倫理的に反する行為は非難されるべきもので、許されざるものだ。そもそも匿名という状態を利用した一方的に他人を攻撃したり煽ったり、からかったり面白がったりする行為は卑怯であり、とてもあるべき状態とは思えない。これからはWebの実名制も含め、Web上のルール作りを考えていくべきである。昨今の総務省によるルール作りや、文化省による著作権問題のルール作りやDL違法化はそのはしりといえるだろう。
あなたは、どちらの考え方に近いだろうか?現在はどちらが正しい、という客観的な指標は少ない。こちらが正しいに違いない、こうあるべきだ、という言い方にとどまる。
Webに「正しい」考え方はない。Webユーザ一人ひとりがどうあるべきかを考え、論議し、こういった形がいいんじゃないか?というコンセンサスをとっていくことで、Webのデ・ファクト・スタンダードとなるのである。いわゆる「Webにすむもの、利用するものの考え方」をまとめた上で、政府などの立法機関や委員会に提示していった方が、様々なWebの問題に関して先手を取れるのではないか。現在、MIAU設立やネットユーザの行動による論議が巷をにぎわしているが、、どちらかというと対症療法的で、何か決まりそうになるとそれに対応する、という形で、ともすれば後手後手になっている印象がある。
今、モニタ越しに見ているあなたがどう思うか。それ知りたい。もちろんそんなこと言われても、娯楽を楽しみにWebにきていたり、情報収集を目的としている人が多いため、そんなこと言われても関係ないし興味もないと思うだろう。このブログを読んだのも、ほんのちょっとした偶然が重なったに過ぎないのかもしれない。しかし、今のようなWebの状態がこれからもずっと続くとは、誰も保証しないのである。現在は、よくも悪くもWebはルール作りもまだまだで、いわば過渡期である。今からの方向性によって、10年後のWebは大きくその姿を変える可能性があるだろう。その時、あなたの考えとは違ったWebの世界があったなら、悲しく、残念ではないだろうか。
Webは、コメントやアクセス行動によってのみその存在がみえてくる。別にどんな意見でもいいと思う。思ったことを書けば。
インターネットの真の姿とは何か。これから、どうしていかなければならないのか。それは、一人ひとりのユーザの思いや意見が集まったものであるべきだ。決して一部の人々によって、また利権によって恣意的に決められてはならない。