創作発表の場としてのニコニコ動画

たとえば、あなたが何か一つの作品を作ったとしよう。音楽でも絵でも動画でも、なんでもいい。あなたはやがて、その作品を誰かに見てほしいと思うだろう。普通は思う。誰でもいいから評価してほしいと。
しかし、一流のプロの人間ならいざ知らず、素人〜セミプロが何かアイデアを思いついて作ったとして、作品がいかに素晴らしいものであっても、多くの人に見てもらうには苦労する。ブログだってそれは一緒。いかに自分が素晴らしいと思った内容でも、そもそも見に来てもらえなければどうしようもない。
インターネット接続サービスが始まって以来、Webというネットワークは多くのクリエイターに作品発表の場を与えた。絵や音楽、Flashなどをはじめ、プログラムなり論文なり日記なり、それは様々ではあるが。乱暴に言ってしまえば、インターネット空間というものは総じて創作発表の場なのだ。ユーザにわかりやすく、かつ気軽に楽しめるような本当にいい作品や、圧倒させるような作品、笑い転げるような作品があれば、クチコミであったり、ニュースサイトなどによる紹介なりで瞬く間に広がっていく。
しかし、実際の所、ある時ある人が突然すばらしい作品を発表し、Webにアップしたとしても、誰もそこを見ていないかもしれない。たまたま訪問し、素晴らしいと思った人も、不幸にして自分の胸のうちにしまってしまうかもしれない。そうしてその名作はWebという情報の波にうずもれていく。過去ログとなったらまず誰も見ない。ほとんどの場合において。だから訪問数は、ある一定以上の母体が必要である。そのうちの誰かが、その素晴らしさを伝える情報の担い手としてまた情報を発信していく。そしてネットワークはつながっていくのである。
インターネットはそのように、確かに情報発信の場として機能してきたが、最近はブログやHPが無数にあるため、全てを網羅することなどはどだい不可能な話である。日本で見ると、確か6000万人くらいがネットを一日30分ほど見ている計算になるらしい。約18億分/日。これがインターネットに費やす時間の全てである。オンラインゲームなどの時間も全て含め、日本全体でこれである。多いか少ないかの議論はさておくとして、ユーザのアテンションはあくまで有限なのである。それに対し、HPやブログは増えていく一方だ。たとえそれが既に更新されなくなった過去の遺物だとしても、インターネット世界ではそれが完全に消えることはない。放置されるだけだ。
だから、相対的にユーザのアテンションというものが年々大きな比重を増していく。価値を持ってくる。特に最近では、一瞬のアクセスよりも、利用時間、というものが価値を持ってきているようだ。更新を押しまくったようなページビューや、どれほど正確かわからないユニークユーザの数よりも、利用時間の長さというのは、「今、確かにそこで何かを見ている何者か」という存在を確かに感じることができるからである。ネットレーティング調べ
でも、最近は「総利用時間」でサイトを並べているようだ。それはまさに、利用時間の長さこそがサイトの価値を決めていると思っているからであろう。
ニコニコ動画は現在16位。すでにyahoo以外の大手ポータルサイトや、amazonなどとタメを張れる位置にまで来ている。多くのユーザが、それぞれの目的やスタイルこそあれ、一所に集中している。そこで作品を流せることの意味は、そりゃあ大きい。しかもニコニコ動画の視聴者といえば、どちらかというと、面白いものがないかと探しているようなユーザ層である。自分が投稿した作品がユーザに「認められれば」、ものすごい量のアテンションを獲得するだろう。いまからHPをつくって動画を公開し、いろいろなところに宣伝して回るよりははるかに効率がいい。
動画、というコンテンツは実は色々と使える。様々な応用が利くのだ。少なくとも、MAD作者やFlash作者、DTMや絵描きなどの層をはじめ、とにかく何か表現したい、発表したい、注目されたいというユーザをまとめて取り込んでいる。まぁ、最初は少し、ビデオの撮り方や動画作成技術の勉強を必要とするかもしれないが。
そういう意味で、ニコニコ動画はすでに多くのアテンションをもっているという時点で非常に価値ある存在なのである。アテンション増→動画も増える→さらにアテンションも増える→・・・ という良循環で、今のニコニコ動画はまわっているのだ。さらにクリエイター側がのどから手が出るほどほしかったであろう、「ユーザ側の評価や批評のコメント」も添えて。
そりゃ人気もでるわ。ニコニコ動画がヒットしたのは偶然ではない。創作発表の場を求めた多くのユーザという存在を考えると、必然的な現象であったのかもしれない。