初音ミク騒動とポータルの意義

巷では初音ミクの画像が検索に引っかからないことでちょっとした騒動になっていますねー。これは、非常に恐ろしい可能性をネットユーザーに示した一例として、歴史に刻まれるかもしれない内容です。
記事によると、yahooやgoogleではひっかからず、gooやmsn、livedoorでは引っかかるようです。そこから導かれる推論として、何者かがyahooやgoogleに申し立てをして、画像検索で初音ミクの画像を引っかからないようになった、つまり、「google八分」になった、ということですね。
何が恐ろしいか。こういったことがいつからこんなに露骨におこなわれるようになったかは知らないですが、私は今までポータルサイト検索エンジンを疑う余地のないツールとして絶対の信頼をもって使ってきました。いちいち複数のポータルサイトで検索して内容を比較する、なんてことはほとんどしなかった。検索エンジンをいちいち疑ってかかるということは基本的に手間のかかることですから。
今までは、検索エンジンはほぼ万能であるという信仰に近いものがあった。超膨大な情報の海の中から検索エンジンはたちまちのうちに必要な情報をほぼ余すことなく表示されると。しかし実のところは、私たちユーザがほとんど知らない裏の方で、情報の偏りや恣意的な削除というものはもはや日常的に行われていて、私たちが検索をして情報を目にした時点ですでに選別的な偏りがあるのではないか、という危険性である。
もちろん、webであろうと資本主義のルールから完全に逃れられはしない。ポータルサイトも株式会社としてちゃんと運営されているのだ。スポンサーサイトなどが表示されるのはいい。しかし、私たちが「わからないところ」で「わからないうちに」必要であるかもしれない情報が削除されていって、検索にひっかからなくなるという現象は、非常に空恐ろしく感じる。webはそこまで巷の情報メディアのように偏りがないと思っていたのに。
これからどうなっていくか、ということを考えたとき、一つのポータルの未来の姿がみえてくる。それは、新聞のユーザにみられるようなパイのわけあいである。つまり、yahooは「朝日新聞」のような情報の偏りを以て発信するポータルサイトとなり、googleは読売、msnは毎日・・・とまぁメディアのカラ−による差別化である。正直この一事をもってここまで言うのは言い過ぎかもしれない。しかし検索エンジンの裏側の部分なんてユーザに伝わってきたりはしない。だまって都合のいい情報を流し続けていけばいいのだから。
結論として、これからはポータルサイトの検索さえも恣意的な偏見があるかと疑ってかかり、複数のポータルサイトで検索して比較するようなことをいちいちしていかなければならないかもしれない。残念なことである。主要ポータルサイトを一括検索できるような「ポータルのポータル」があればいいのかもしれないが。ポータルから許可が出るとは思えないな。
何が正しいか、何が間違っているかは自分で責任をもってみていかんといかんな。鵜呑みはダメヨ\(゜ロ\)ウワーイ(/ロ゜)/