にんげんのぬくもり

とても人肌が恋しいときがある。エロい意味ではなく。
子供のころ、ふとどうしようもなくさびしく、いたたまれなくなり、親の布団にもぐりこんで眠ったりしていた。
母親が潔癖症だったこともあり、抱きしめるような、肌と肌が直接触れる機会は少なかった。人肌のぬくもりというものは、安心と幸福感を伴う。
大人になり、仕事を始めたが、肌をあわせる仕事ではない。ある夜、デスクで一人仕事をしていると、ぬくもりがほしくなるときがある。誰でもいいから抱きしめてもいい人がいるなら、抱きしめたいと思う衝動に駆られる。ぬくもりがほしいと強烈に思う。毛布や抱き枕で眠るのとは違う。
インターネットでも、人のぬくもりはおくれないものだな。
抱きしめる、ハグするということは人の最終目標の一つかもしれないとぼんやり思った。
外国では、挨拶でも日本人から見たらオーバーに思えるくらい抱きしめたりする。日本ではあまり見られない。仕事においては、業種による部分もあるが、適度な距離と適度な付き合いがよしとされる。
抱きしめられる人がいたら、たとえば・・・・・・・孤独に感じることはなくなる。明日を生きることができる。電話やインターネットや言葉でたとえどれほどの優しい言葉をかけられたとしても、にんげんのぬくもりにはかなわない時がある。日本にはいま、一億二千万もの人がいて、孤独に感じる人はたくさんいる。
満たされない寂しさを埋めるためのインターネットも、寂しさがうまったわけではない。ささやかな幸福と一体感は感じる、だがどこか満たされなさとむなしさも残る。
何人もいなくていい、むしろ多すぎるとかえってもてあますだろう。一人でいい、抱きしめることを許容してくれるあなたがいれば。