民主党を応援する一つの理由

応援することによって、自分のなした力を実感することがあるのかなと思う。
自民・民主ともに興味はあまりない、しかしどちらかの陣営につこうと考えたとき、それが自分に関係がなさそうであることだと思うほど、負けているほうを応援する。逆に、自分の利害に関係あるほど、勝ち馬、多数派にのる。
日本人が、さまざまな場面に出会ったとき、負けているほうをなんとなく応援することが多いのはそのせいなのかなぁと思った。
自分と関係のない世界が次々に変わってい行くのは刺激的であってよい。有事がおきてほしいわけではないが、何か未知なるものに期待する心理は変わらずある。
マスコミが民主党よりの報道を行うのは、それによって民主党政権になることで、マスコミの力というものを政治家であったり我々に誇示する目的もあるように思う。だから、おもりは常に一方に乗せ続けてなければいけない。力が争いあうと相殺し、威力が減殺して見えるようになってしまうから。そうすると、そのものの存在意義が薄れて見えるようになってしまう。だからこそ、民主党を応援し続けるのか・・・?とふと思った。
最終的な目的が、応援しているそのものの勝敗によってどうなるか、という部分は重要でなく、そのものの勝敗を通じて、「自分」が、もしくは「企業」がその力を誇示することが目的であるならば、今日における報道も少しは納得ができる現象なのかもしれない。ある種の達成感が得られるのだ。どっちが正しいかなんて、ある一定以上に高次で複雑なものになってくると、人は考えるのをやめるし、そもそも主義主張などのかねあいもあり、結論が出ないものも多い。
政治を細かく細かく分解すると、間違いなく日常の生活にかかわってくるのであるが、話し合われている内容がなんかもうボヤっとしすぎて勝手にやってくれと思ってしまう、つい。国政や地方行政の勝った負けたという報道を聞いても、遠い銀河の星の出来事のように思える。何でだろうね・・・・政治にかかわらなくても、生きていけそうだからかな?
最近、言葉でやりあう空中戦を見るのがイヤになってきた。何が正しく、何を持って支持すればいいんだろうねぇ。愚民でなかろうとするならば。少なくとも、面白そうだからベースで応援するのはやめにしたい。やめにしたいとは・・・思う。