人は意識する世界をねじ曲げる

仕事をやめたくなる世界ってのは、その人に意識の中の世界にいる自分にとって、仕事をやめたくなるような世界なんだろう。
しあわせな世界ってのは、その人に意識の中の世界にいる自分にとって、しあわせな世界なんだろう。
まわりがどれほどうらやましがろうと蔑もうと、その言葉によって左右されども、その世界自体は変わらない。意識の中の世界ってのはそういうものだ。ふと、見方によって世界変わる瞬間もあるが、基本的に強固だ。死にたくなる時は、その人にとって死にたくなるような世界なんだろう。
なんでそんなにいい人を恨まなければいけないのか。憎まなければいけないのかと思うことがある。いい人なのに。彼は間違っていない。
間違っているのは俺のほうだ。しかし、意識は彼を憎まずにはいられない。

人間はそこらへん中に歩いている。ネットにもたくさんいる。なんでおんなじ人なのにこんなに真逆な人が多いんだと絶句することがある。こいつの考え方はまじ一生理解できないなと思うことがある。相手もたぶんそんな感じに思っているんだろうか。なんでそれほど違うっていうんだ。

世界を普通に認識している普通の人間なんて人はいない。一億人いれば、一億の狂人が生きているだけのことである。それほど見えている世界は違う。絶望的なほど違う。

俺は今日びっくりした。とてもいい人だと思っていた人が憎らしくてたまらなくなっているから。俺は一日でどれほど世界をねじ曲げているんだと思った。一つが負の方向に傾くと、中立だったものが大挙して負の方向に傾く。悪いのは俺だ。俺が感じている、いや、想像している世界が悪いんだと思う。世界は変わらず、自分の脳内の世界だけが劇的に変わっている。

今はまだ、自分が間違っていると言う認識があるだけ軽症なんだろう。これが一定のレベルをこえると、主張となり、主義となり、自分の中の確固たるバインドとなる。それが自分の生き様となる。善悪や正誤はない。

世界がねじ曲がって見える。もはや変えようがない自分がいる。わかりあえない世界の中で、それでも人は仲間を探す。