それが何かと考える想像の楽しさ

何かを想像することは楽しい。人はしばしば想像に酔う。想像だけでご飯三杯はいける。
人間が他人から評価されるとき、それはたいていの場合、その人が出した結果から評価がくだされる。
一方、自分自身は、その結果に向けて行動している過程に、楽しみを見出す。いや、正確には過程そのものではなく、その過程を行動している自分を想像して、その美しい光景に酔うのだ。
想像がどれくらい楽しいものか、例を書くならば、
本のタイトルを見たときに、CMを見たときに、どんな内容だろう、どんなものだろうと想像する楽しさ。
ゲームや勝負をしているときに、どんなことがおこるかわからない未知なる未来への想像。勝つか負けるかわからない楽しさ。少し勝利に向かって前進した瞬間のうれしさ。それを想像する楽しさ。
旅行も、計画しているときが楽しいと言う。
出世や成功、恋愛や結婚も・・・・想像して、それに向かっている瞬間の方が、楽しいのかもしれない。
ラクリがわかったミステリはおもしろくない。一度見た映画はもういい。ヴェールがはがれたアイドルに、神々しさはもうない。
ニコニコ動画や増田のエントリも、どこの誰が生み出したからわからないからこそ、楽しさ、面白さが倍増するように思う。

全てが見えてしまえば、それは決まってしまった結果であり、そこに事実が揺らぐ楽しさ、ドキドキ感はない。

結果は、もはやデータであり、忘れたっていい。結果から生まれた産物は、すでに享受しているものだ。たまに、その頃の「今とは違う精神を持った」自分を想像して、あの頃は良かったなぁ・・・・と過去の自分を想像し、懐かしみ、楽しむくらいだ。