使って巻き込みみんながハッピー

タイトルですでに言い尽くしている感がありますが、今日感動したことを書こう。
Webサービス「使ってもらう」ってことの価値って、以前からはかりにくいものだなあと思っていた。いくら無料で使ってもらっても、そこにビジネスモデルが生まれるわけではないし、お金が入ってくるわけでもない。じゃあ無料のサービスは趣味以上の意味はないのかと。そう思っていた時期が私にもありました。
有料のビジネスモデルに魅力がないわけではない。だが、その魅力を存分に伝えられていないのを棚に上げて、「有料で使いたい人が使えば」的なサービス展開が、そもそもうまくいくと思うほうがおかしい。予測が、多分に楽観的だ。人間は暇を作れる、だがそんなエゴにつきあっているほど暇ではない。

有料が一概にダメというわけではない。しかし、そのサービスにたりないものがある。愛である。愛され方が圧倒的に足りない。
愛は地球を救うほどの力を持つらしい。サービスをささえるのもやはり、例え少数でも、根強いヘビーユーザの愛は、とても大切にすべきものだ。
ヘビーユーザは、制作者よりもしばしば詳しく、時間を費やしている。どうすればよりサービスがよりよいものになるかも、という思いが多くあるはずだ。何よりも、サービスに対する愛がある。まず、多くの人を巻き込み、こうしたほうがいいのではないか、こうしてほしいという思いがふくらんでサービスが育っていけば、それほどいいものはないだろう。
現代は、巷に商品があふれている。広告に趣向を凝らし、短いスパンで商品を次々にリリースする。Webにおいても、毎日ペースで新サービスを見つけるような勢いである。あまりにも選択肢が多すぎると、その他大勢はたいていにおいて埋没する。淘汰の末、残っていくのは、やはり愛されているサービスである。
たとえば、作者の愛やこだわりは、人々の想像をかきたて、愛着心を生む。作品に対する愛、サービスに対する愛、使っているユーザ同士の愛(もとい友情、つながり)。たとえシェアが劣勢だったとしても、そんなときにそのサービスを支え続けるのが、一部のコアユーザーである。愛されないサービスは、すぐに閑古鳥が鳴き、消滅する。
だから、まずは使ってもらう。そして、多くのユーザを巻き込み、愛着を持ってもらう。それでみんながそのサービスに対して色々なアイデアを出していく、そんな正のサイクルをもっているサービスや商品が、今日に至るまで残っているように思う。
性能的にはすばらしいはずのサービスや商品が、ヒットせずに消えていくのは、そういった「愛」の視点が欠けているのではないか。ユーザの愛を育むことから、ヒットは生まれると思う。自分が実際にまず使ってみて楽しくなくてなぜ、人を楽しませることができるのか。