ブログは定期預金のイメージ

結局blogなんて、クソの役にも立たなかったわけだ。 増田より
この記事を見て思ったが、比較すると俺の前日エントリは相当遠慮しているなあ。書くきっかけは同じなのだけれど。
言いたいことはわかる。こねくり回して書く俺よりかはよっぽど主張がわかりやすい。わかりやすいと感じること自体、一理あるんだろう。思ったこともそのまま書けなければ、読者もそれを、書き手が期待したようには読んでいない。互いにむなしい期待とエゴだけがある。
・・・前に似たようなこと書いたことあるな。過去ログ過去ログ・・・あ、あった。 3/29 ブログを否定的に見る
ブログって役に立つかといわれると、速攻自分にとって何かの役に立つことは少ないと思う。使い方やテーマにもよるが。基本、多くの読者が求めているのはyahooニュースでもGIGAZINEでもブログという形態をとっていても一緒で、役に立つ新情報(ネタ)だ。それは変わらない。
より身近な人にコメントをもらえることを期待するならやっぱりSNSなのかなあ。むしろ直接会えという話か。誰か一人に伝えたいとき、それを直接伝えずに、ブログで書くのはどんだけ婉曲的なんだという話だ。まあ伝わるわけない。でもそれに似たことをやっちゃっているエントリはいくつかある。
ブログは私のイメージでいうと、定期預金。何か知らないところでよくわからないものが少しずつたまっていってですね、10年後くらいに気がついたらそこそこ多くの人に読んでもらえるサイトとなっていた、といような。いまどき政治家が必死に講演しても、一回2〜300人として、ブログなら一回書くだけでそれ以上の人に見てもらえる可能性があるわけですよ、そう考えるとすごい。
ちなみにですね、講演とかでもフィードバックなんかそうそうもらえない。日本人は慎み深くてお淑やかだから、自分の意見を出さないのですよ。
ある意味、ブログで助けを求めるという部分は何だか、何ていうんでしょうね、自分の思ったとおりのフィードバックが返ってこなくてですね、さらに落ち込むというような、いいようのないむなしさ、哀れさがあると思うのですよ。一時私もこれに陥った。ブログに期待しすぎた分、失望が大きいというわけですね。はじめから期待しなければよかったのに、多くの人とつながっているWebであるがゆえに、ついやってはいけない期待をしてしまう。Webのつながりといっても、切れても文句が言えないほどの薄いつながりに過ぎないのに・・・。
結論として、ブログに過度な期待は禁物で、マイペースにやっていくものなのかなと。ブログとはまた違った形態ができれば、また人は変われるんではないかとひそかに期待してはいますが。(これ書くの何度目だろう)