KYについて

最近良く耳にする言葉に、KY(空気、読め)があります。人間同士において、特に集団における人間関係において大切なスキルのようです、私の嫌いな言葉でもあります。これを言われると、なんだかいいようのない怒りを感じる。
あいつKYだよなと言う言葉に、多数の価値観の押し付けを感じるんですよ。
人間には、異質なものを排除しようとする心情がある。
他の選択肢も選べるんだよと提示しつつ、こうしたら、相手がどう思うか考えないのか?みんながこうしているのになぜこうしないのか?という圧力が暗黙のうち(声のトーンや文脈)にあり、実際は一つしか選べなかったりする。そういうメッセージは確かに受け取る。向こうの気持ちもわかってはいる。が、なんだかそういうあいまいな多数の優位を押し付けられるのはすごくキライだ。
人間関係において何が大事か、という答えに、「空気を読むことが大事だと思います」という答えがあった。大切だ。大切だが、度が過ぎた多数、上位者の行動に倣う主義はやはり納得ができない。みんな、そんなかわいそうな目でこっちを見るなよと。俺は別に間違ったことをしていないぞ。
KYを恐れると、突飛なことは発言できない。自分のしたい行動が取れない。度を過ぎたKYに、反逆を試みたい。そんなことしてもろくな事がないのかもしれないが。
まあ、こんなこと書いているからKYな人間なのかもしれませんがね。あまのじゃくなもので。でも、他の人と違う所から見よう、しようとする視点は確かに大事だと、私は思う。