規定された時間と人生の濃度

ふと思うに。何か目標を設定したとき、日付を決めますよね。すると、その期間までの人生の濃度が薄くなってしまうような気がするんですよ。素朴な感覚として。
自分の時間が自分のものではなく、その決められた時、Xデーまでの時間が何日か、何時間か・・・という尺度で自分の今過ごしている時間を見てしまい、自由が少しなくなる気がする。
その出来事が大切であればあるほど、濃度が薄くなってしまう。そのことが気がかりとなって、他の事に手がつかなくなる。そんな経験はないでしょうか。
もちろんこれは心の持ちようであり、実際に時間が早く過ぎたりはしません(たぶん)。ただ、楽しい時間は一瞬で、いやな時間はいつまでも続くかの如く感じるように、時間の感じかたが変わってしまうんでしょうね。何も規定しない3分、朝の貴重な3分、カップラーメンの3分、恋人と過ごす3分。意識の集中度は時によって違い、それによって時間の感じ方が変わる。
というのも・・・ここ一ヶ月間、とても大切なことが気になって仕方がなく、あっという間に時間が過ぎていった気がします。濃度が薄かったのかな・・と。自分の時間は大切ですが、この期間ははやく時間がすぎてくれるように、時間のつぶし方ばかり探していた気がします。
できることなら、濃縮した人生を送りたいと思いますけどね。自分の心はなかなかコントロールできないものです。
ちなみに、濃度が薄くなると思うのは、××に大切なことがあるが、それに対してなにか努力する手段はなく、結果だけがただ気になる時です。××までにしなければならない目標と、それに際してしなければならない努力があると、逆に濃度はすごく濃くなるかもしれません。
時間の規定の仕方によって、人生の濃度は濃くも薄くもなる。能力のある人はこの辺を心得て、うまく心をコントロールしているのかな。