Webはランキング制に収斂するのか -ユーザ行動をたどったアプローチ-

Webのサービスを眺めると、ニコニコ動画でも、ブログにしても、ランキング制が主流である。RSS導入時も、1位-300位のサイトをまず登録して、そのうち不要なものを削っていく・・・・という作業していた。この方法は「みんなが選んだもの」であり、はずれとなりにくい選び方として有力な手法ではある。それは間違いない。Webの集合知の一つの形と言えると思う。
しかし、2chの人気度ランキング、今日のはてな注目ブックマーク、ニコニコ動画の今日の上位動画、などと見ていく中で、何か、味気ないというか、Webにはじめて触れたときのwktk感、新鮮な驚きは少し失われた気がする。みんなが選ぶと自分だけ違うものを選びたがるあまのじゃくっぷりは、昔からの性格だが。
ランキングが一つの尺度となるのは間違いがないが、他の尺度はないのか。そんなわけでtwitterにその疑問を投げてみた。すると反応があったので、そこから考えを展開していった。以下はその要約。
ランキング制は多数により選ばれたものであり一定の尺度にはなるが、自分の嗜好や必要にあった情報やコンテンツを網羅できているとは思えない。
それを補うのが検索システム・もといタグであり、Webや、その中のサービスはランキング制と条件検索によってある程度うまく機能してきたと言える。
しかしそれによってWebやサービスを十分に活用できているかというと、まだ改善の余地があるように思う。もっと効率的に自分の役に立つ情報を手に入れられないものか。
そこで考えられたのが「自分と似た嗜好を持ったユーザ」の行動をたどるというものであり、はてなブックマークに代表される。これは、ニュースサイト管理人にも当てはまる話で、そういった個人ニュースサイトを見に行くことで、その人が体験したWeb巡回を効率よく追っていくことが出来るわけだ。人によってWebに割ける時間や、知識のレベルは異なるのだから、模範ユーザの行動を追っていくこは、バイアスや偏りを考慮しても十分有用なものだ。
ただ、自分のWeb行動を公開する形となるので、若干の抵抗も伴う。ブクマは財産だと思っている方もいるように、そういった情報を提供することについては、賛否両論あるところだ。
人には、自分(もとい自分の行動)を見てほしいという表現欲求・自己顕示欲求・承認欲求がある一方、自分のそういった個人情報が悪用されることを懸念する警戒心や、金儲けに利用されるのではという嫌悪感などがある。
結局は、サービスのアプローチの仕方次第だとは思う。たとえば、ブラウザによってユーザ行動の情報が収集するという構想が批判されたのは、ブラックボックスの部分が多いからだろう。何に使用されているかよくわからない恐さ、という心理がそこにあると思う。その点はてブは目的がはっきりしているし、はてながその情報をうまく利用したり売買して儲けるといった構図も想像しにくい。
要は、アプローチ次第ですかねー。そういった情報を公開する人同士が集まって共有すれば幸せなわけで。ニコニコマイリストとかも、共有が進めば、ランキングでも、タグでもない、第3の尺度で動画を探すことが出来、新たな発見が出来る可能性が高いんではないかと思う。
ただ・・・じゃあはてブはいいことづくめかというと、ユーザの差別化、「一アクセスの格差」という問題もはらんでいるので、万能ではないと思う。
嫌儲や、情報をだすことの警戒心などといったユーザ心理を考慮しながら、どうやったらWebがより使いやすいものになるかは、今後も考えていきたい。こういったサービスを考えていく中に、必ずビジネスチャンスも眠っていると思います。
現在も、インターネットは十分に便利だとは思うが、その全貌はまだまだ見えづらい。理想としては、世界で何が起こったとしても、自分が必要だと思う情報はアンテナが感知し、また必要なときに必要な情報がサッと取り出せるようになれば、便利だろうな・・・と思う。