将棋との出会い

ひょんなことからとある所に文章を投稿することになった。テーマは将棋。というわけで、今日から5日間将棋についての論考を書く。で、それを出そうと思う。といっても今まで将棋をしている中で思ったことなどを書き連ねていくだけであるが。
将棋の未来を考える 全5回(予定)
・将棋との出会い
・Webと将棋とコンピュータ
・将棋人口と経済性
・競技として、ゲームとして、文化として
・将棋というコンテンツの未来
まず簡単に私の将棋との出会いから。将棋は私の青春時代だったといっていい。10代のころはちょうどWebの黎明期であり、ゲーム機であればファミコンからスーファミといった世代である。父親から将棋を教えてもらって以来、友人とよく指していた。(類は友を呼ぶというか、今でも同じ大学である。)昔から自分の性格の特徴として、勝ち負けを競うことが好きで、好奇心が旺盛だった。
人と同じ時間を共有するためには何か楽しいネタなり媒体が必要であることが多い。それは日々のたわいもない話題からちょっとした笑い話であったり、トランプやサッカーボールなんかであったりする。(ニコニコ動画だったらそれは動画である)私の場合、その一つが将棋だったわけである。
楽しいという気持ちはどこから湧き出て、どこから生まれるか私はくわしく知らないが、将棋というゲームはしていて楽しかった。奥の深さやゲームバランスが人を楽しませるのにちょうどいい名作なのかも知れない。ただ、最初の敷居(ルールを覚えて定跡などを覚えていく)が少し他のゲームに比べて高いため、誰でも知っているというわけではなく、特定の人間と指して楽しんでいた。まぁ小学生のころだし将棋だけではなくいろいろなことをして遊んでいた。将棋はその一つにすぎなかった。
中学に入り、ふとしたきっかけから将棋の道場に誘われる機会があった。興味もあるのでいってみて以来、完全に将棋というゲームにはまった。
あらゆるゲームにあてはまることだが、自分が強くなり、成長していく過程が一番楽しい。私は人一倍一度はまったらのめりこむタイプらしく、その快感を得るために将棋の本などを色々と読んだ。友人に勝つためということもあるし、見知らぬ人と道場で指して勝つという目標も加わった。家はそんなに裕福ではなかったのこともあった。周りの友人らはプレステやセガサターンなどのゲームの話をする中、ゲーム機を買ってほしいなどとは言えず(当時は本当にそれどころじゃなかった)、そこへくると将棋は盤と相手さえいればいつまででも楽しめる。道場の席主が良くしてくれたこともあり、毎日通いつめて将棋を指し続けた。
今思えばなんでそんなに夢中になったんだろうな、とも思うが、私の脳内設計がそういうタイプなのだろう。今の自分を見ても、対象が変わっただけで、やってる行動パターンがかわらんな、と思う。まぁそんなわけで、もともとゲームの才能と思考力は人並みくらいはあったらしく、2年くらいでアマ強豪レベル(3〜4段くらい?)になった。
で、高校時代に開花。全国大会にもそれなりの成績を残し、まぁ俺がんばった、程度くらいにはなった。
ある程度強くなると、どんなゲームでもそうであるが、楽しいことばかりではなくなる。強くなることが難しくなる、無邪気に楽しめなくなる・・・など。一方で将棋という競技と世界を外から見るようになった。日本の文化として将棋は定着しているが、あくまでもニッチな世界でのものだ。いわゆるプロ棋士として飯を食っていくようなことでなければ、それ以上やり続けることにどれほどの意味があるのか。そう考えたとき、数年間続いた将棋への熱意が急速に冷めた。人生は一度しかないんだし、もっと広い世界で戦いたいと思った。
で、一応進学校であったこともあり、浪人しつつもなんとか大学へ。以前ほどの熱意はなくなったものの、将棋と付き合う程度には続けている。就職や進学をはじめ、ものの考え方にも将棋はいろいろなところで役立っている(と思う)。何かについて考えることとか、集中力。人生はきっかけの連続であるが、いままで将棋をやっていよかったとは思う。
一方、Webが普及してきたことで、一部の娯楽やコンテンツ産業は打撃を受けた。競技人口が減っていったのである。娯楽というものがより容易に享受できるようになったことで、わざわざルールを覚えて将棋をやらずとも、楽しめるコンテンツは他にもたくさんあるからだ。オンラインゲームやらFlashをはじめ、一生を10周しても遊びきれないほどのコンテンツがWeb上にはある。良くも悪くも、Webの普及は娯楽産業の変化をもたらしたのである。
なぜそういうことが起こるか、一例を挙げると、Webなどができない刑務所内や、まだ普及していない中国の一般階層では、今でも将棋(中国は象棋)やトランプなどが遊ばれている。他に遊ぶ娯楽が少ないからだ。そういう場所においては、遊ぶのに手軽でゲームバランスのいい将棋は楽しまれる。しかし、Webとゲーム機が普及した現代の日本において、将棋などが再び日の目を見ることは、現状では難しいだろう。それは一つの時代の流れとして、仕方がない部分である。
しかし、Webという世界は逆にチャンスでもある。使い方しだいでは競技人口をふやすこともできる。将棋は今成長しているとは言いがたい状態であるが、囲碁やチェスその他の娯楽においても、Webやファンとうまく付き合うことで、うまくやっているところとそうでないところがある。コンテンツとしてはすでに文化として認知されているのだから、その利をいかに生かすかである。
明日はWebと将棋について。

















頭脳勝負―将棋の世界 (ちくま新書)

頭脳勝負―将棋の世界 (ちくま新書)