動画削除の問題

ニコニコ動画の作品は誰のものか、という話。コメントもふくめ。ありすえPの日記に非常に納得したのと、これからやがてこういった問題が他の場面で大々的に話し合われてくる可能性を考えて。
動画削除の是非についての一つの論点が、動画削除権を持っているのは誰か、という問題。
動画削除権があるのは現在、動画アップユーザ、ニワンゴ運営、(場合によって)版権元。
削除権を有するということは、その人の支配下の物であるという意味の一端を表しているとは思う。
動画はどうあるべきか論になると、見解がユーザ側とそれ以外で分かれる。
ありすえPが、引退に際しての動画削除についてのコメントを発表していた。ユーザ側、アップ側双方とも論点となりそうな理由と考え方をわかりやすく書いていた。以下「」でありすえPの日記を引用
「UP主の手を離れた瞬間動画は楽しんでる他の皆のものになっているのだから一方的に削除するのはやめて」という意見
いわゆるユーザ側の意見。おそらく削除に反対する論点の一つはここにあるだろう。削除反対にに際してユーザ側が主張できることはこの、Webアップ作品はみんなの共有物論と、「コメントによってはじめて動画は完成する」という動画未完成論が大きな論拠となると思う。
この手のやり合いは結論が出しづらい。双方がいわゆるWinWinになればいいのだが、どうにも分かり合えない部分はある。立場が違うとしょうがないことではあるが。アップ側には削除する権利というわかりやすい力がある。ユーザ側には明示的な権利はないが、ユーザをあまりにも軽視した理のない行動をとると、多数を生かして誰かが暴走することもあるだろう。Webの炎上などはその力の一端だと思う。
誰かが再アップする形だと丸く収まるのか。それはケースバイケースのような気はする。少なくとも著作権元が消した動画の再アップが認められないのは、仕方ないだろう。動画の存在自体に被害があるという立場だから、とそこは譲れない部分である。
ありすえPは、以下のようにニコニコ動画の「場」を捉えている。
「すべての動画が永遠にニコニコ上で遊べるわけじゃない・・・そういう中で出会って遊ぶのも楽しみの一つだと思うし。」
ニコニコ動画という「場」はあくまで不確定なものである。その中の偶然の出会いというものを楽しむ。これはWebという「場」全体においても応用できる話である。
ユーザ側の思いとしては、再生した経験や動画を見て多くの人が得た感動や笑いはプライスレスであり、その元となった動画がなくなるのは残念だ、嫌だという気持ちは変わらないだろう。
かといってアップ側に何か圧力をかけたりすることは、その時はそれでいいが、長い目で見て動画アップ者や創作者がアップしづらいことになる可能性がある。ユーザ側からすれば、今までの名作がなくなるのも惜しいが、これから出るであろう新しい創作作品が出てこないほうがたぶん悲しい。
だから創作者には削除の自由を与えておいて、それでも削除されるなら・・・仕方ない・・・のかな。ユーザ側には動画保存の手段もあるし。それ以上を求めるのも、ともすればユーザ側のエゴにしか過ぎなくなってしまう。
しかし、いつまでも、残念だという声はなくならないとは思う。難しい問題です。