人を怒らせる方法

今日も、様々なブログで様々な評価や論評がなされている。批判や賞賛、意見など色々あるだろう。
時に、Q、人を怒らせる簡単な方法ってなんだと思いますか?
A,その人が好きなものをけなすことです。
これをされると本当に腹が立つ。イラつく。ムカつく。この文章書いたやつ氏ね(#゚Д゚)ゴルァ!!と思う。そいつの全てがいやになる。言い回しすらも憎らしく感じる。要するにバイアスもかかっていくわけです。そういった怒りをなるべく起こさないように、と日本人が育んできたのがいわゆる和の心である。しかし、Webではそういった心は割引されるようで、ある人の批判を発端として、今日もネットのあちこちでフレーム戦が起こっている。どちらが正しいとかが最後のほうでは問題にならず、ただこいつがムカつく!許せん!という気持ちがおさまらず、疲れて飽きるまで争いは続いていく。
まぁそういうフレーム戦を誘発したいという思いが書き手にあるならいい。その文章に反応する人は,書き手にとってまさに( ´∀`)o/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄~ >゚))))彡ツレタであるから。
でも、そういう目的で書かれたとわかっていても、やはりムカつくものはムカつく。この感情は誰にも止められるものではない。
今日、いかにもフレーム戦が起こりそうなエントリーをみつけた。
初音ミクの魅力がオタクでない僕には分からないので教えて下さい - araig:net である。
このエントリーをみたらたぶん自分は不快になるだろうな、と思いながら見る。コメント欄はなかなか(゜∀。)ワヒャヒャなことになっていた。文章を読み、どこら辺で私は感情を高ぶらせるせるのかを調べてみた。(以下「」部分でaraignetの筆者の言葉を随所で引用しています)
まずタイトル。「オタクではない僕にはわからないので教えてください」私はこの言葉だけ見ても挑発的に感じる。
さて内容。「何だ、やっと出て来たのか」はまぁいいとして、「オーケーオーケー。」ここでちょっとイラッときた。それはおそらくすでにこの筆者に対して負のバイアスがかかっているからだろう。たぶん自分と共感できることが書いていたら特に何も思わないと思う。
そして「音楽に革命を起すことになるのか」あたりでちょっと違和感を感じる。私としては、それほどのことは考えてなくて、きっかけは何であれこれを機にDTMがさかんになって、埋もれている隠れたセンスを持つ人が、人を感動させる名曲を作ってくれればいいな、と思っているから。まぁこれは私の視点なので万人様々だろうが。
以下オタクへの挑発としか思えない言い回しがズラリ。「結局のところ(中略)何て言うんだっけ……あ、オタクだ。」「そんな風に二次元キャラにストーリーを読み込むことが可能な人間って、世間で何て言うんだっけ……あ、オタクだ。」
ここら辺で、この筆者は確実にオタクに向けてつばを吐き捨てるような文章を書くのが目的に違いない、と確信。ここまで挑発的な文章の書き方をして煽る必要は本来ない内容だから。
以下「ああ、分かってる。分かってるともさ。」「ありったけの呪詛を込めて言うが、ここからは、絶対に、何も、生まれない。」この言葉には反論したいところ。私はこういったくだらないコメントの集合から価値が生まれていると思うので。「僕を最もいらだたせるのは〜CGMは絶対善だと決めた?」「「初音ミク」の圧倒的勝利に酔う人々、「オタク」。………たしか、キモヲタと言うんじゃなかったか。」
この筆者はオタクという存在が心底嫌いなんだなということは良くわかった。
ちなみに私はニコニコ動画は視聴しており初音ミクは好きなほうである。それをもってオタクと断ずるのはまぁ、その通りな気はする。キモいといわれるのは、自分では認めたくはないが、世間の一般の人からはそう見えるのだったら仕方がない。ちなみに認めてはいない。
まぁこういった書き方によって様々な人が反応し、意見していったのであるから、筆者としては万々歳といったところだろう。いかなる文章やコメントも、読まれてこそ価値があるのだから。そういった意味で、多くの人に見られているという時点で、ニコニコ動画のコメントには価値があると思う。新たな価値は、多くの人がいて、それを評価することによってのみでも生まれるのだから。
ちなみに私は、筆者は人をイラつかせる文章を書く才能を持っていると思う。ここまでストレートにムカついたのは久々である。
別にケンカを売っているつもりはない。世の中には色々な考え方の人がいるのだから。かなり違った環境で暮らせば、意見もそりゃ変わってくる。そういった多様な意見がみられるネット、そしてはてなはやはりいいなと再確認。