仕事で走る日々

メールやメッセの履歴を見ていくと、思う。いろいろあったなと。自分の時間は決して、忘れて思い出せないけれども、その濃度は薄いものじゃなかったなと思う。
あのとき、息もつかせない毎日の中で、目の前の仕事をこなすための日々だった。正直、感傷に浸る日もなく毎日が過ぎ、自分としての時間をもつことができなかった。自分がこなしたことが果たしてどういう結果になっているか、ひとつの歯車でしかない自分はそれを最後まで追えないけれども、それが良い結果を生むためにやっているものだと思ってやってはきた。
仕事が次から次へと来て、頭がだんだん回らなくなってくる。その場で終わらない処理は、頭をもたげる。処理がどんどんたまっていき、Todo管理とか言うレベルじゃないぞという気持ちになりながら、なんとか完了させていく。どうみてもすべてはこなせていないながらも、やらなければならないことは、やる。
どこかでなんとかつじつまをあわせながら、新しいフローや仕事に頭を切り替えながら、仕事に取り組んできた。

仕事は、周りから見た貴賎はあれど、自分にとっての貴賎はない。自分が忙しかった分、たぶん、スキルは何か上がっているのじゃないだろうかと思う。その何かは、処理の要領であったり、コミュニケーションであったり、フロー作成であったり、そのアップ部分はわからないけれども、仕事に携わっていた分のものはあるんじゃないかと思う。もし、意味がなかったとしたら、それはとてもあり得ないことだ。時間を返してほしい。

仕事も大事だし、つきあいもまた楽しい。そのバランスは自分でも操作できず、時折の状況にただ流されることが多いが、そんな選択の中で自分は確かに最善手を探し、そしてそれが実を結んでいるんじゃないかと、そんなことを振り返る暇もないまま、走り続けている毎日だった。

明日からは夏休みだ。めいっぱい、遊ばねば。