守りに入るとき

人間の体内アルゴリズムか何か知らないが、とても世界が輝かしく、やる気に満ち溢れる時と、もう何もこれ以上もとめていないからもうこのままで生きていることが幸せだ、と思うときがある。ハイテンションな音楽などや、おいしいご飯を食べること、気になる用事をもっているかどうかで、それらはまた変わったりするのだが、そういった感情の起伏は不定期に確実にあるように思う。
人間はおもしろいもので、人生をすごく長いスパンで考えたり、すごく短いスパンで考えたりすることができる。気のもちようとはよくいったもので、現状がすばらしい世界にも見えれば、もうたえられないほどつらい世界にも思えたりする。
なんというか、自分の夢というものがあるとして、それが本当に達成できるのかという可能性を現実的に考えるほど不安になってくる。ただ漠然と追っている方が楽しいかったなぁ、とは思う。昔、受験のときも、可能性が低い方が気楽に目指していられた。が、物事が眼前に迫るほど、成功する確率が高いと自覚してくれば来るほど、逆に不安は大きくなっていく。今度は、失敗するのが怖くてたまらなくなるのである。
物事に限らず、人を見る立ち位置にしても、立場が変わることで大きく変わる。近づきすぎず、遠すぎずと最適な距離を保てたときが一番幸せなのは、何だって一緒なのかもしれない。
やる気が消えていったとき、もうこのままでいいや、と思うときがある。何かを目指すことは疲れる。「がんばる」と言う言葉は最近、かならずしもいい言葉じゃないらしい。疲れている人にさらにハッパをかけている、という意味で。難しいものだ。一番難しいのは、人ともそうだが、自分とどうつきあっていくか、なのかもしれない。他人のことを第一に考えると、自分のことはあまり考えなくなるから、それはそれでいいかもしれないが。胃の中に食べ物が入ったり、音楽を聴くことで、自分のどの部分が変わって感情が変わっていくのか、非常に興味がわくところだ。
がっちりと今の自分の生活を守るためにガード。そんな気分にさせられるときは、確かにある。このままではいけないと思うし、何がいけないんだともまた、思う。

エントリきっかけ
http://anond.hatelabo.jp/20080412221553 ただ、流されるままに生きているひと 増田より