文字をナナメに見る

Webを巡回していると、見たくないコメントに出会うことが時にある。正面から理解すると見るに耐えないようなコメント。それに反応すると自分までクズになってしまいそうなコメントがWebにはたしかにある。
どうスルーするかという話なのですが、人それぞれやり方はあるだろう。そういうコメントは見えないようにできるという人もいれば、ふっと目を避けたりもする。Webに慣れている人はそれが普通にできるが、Webを巡回しなれていないと、そういったコメントをみて、それをスルーできないということもあるかもしれない。はてなのネガティブエントリやコメントも、ある程度ならレベルならいいが、どうしようもない言葉が並んでいると、ああ手遅れだなあと思ってみたくもなかったりする。視界を意図的?にぼかして(遠くをぼーっと見るような視点に変える)、さっさととばす。
テキストを見るという行為はたまに考えるのもおもしろいもので、( ゚∀゚)ノはどうみても顔に見えたりする。ほんとうは記号の羅列であることなんか忘れそうだ。
Webのネガティブコメントをなくすことは、部分的にはいいが、完全に解決されてはならないものであると思う。オンラインゲームでも、直接的な差別、攻撃表現などは投稿できないようになっているものが多いが、漢字を変えたり隠語にするなどで結局同じような意を伝える表現は残っている。それらを完全に排除する方法が、あっていいのか。
人間は、考えの内面に、どす黒い思いや感情をもつことがある。それがWebに出てきている。それは確かにいい影響を与えるコメントではないかもしれないが、それが「誰か」からたしかにでてきたコメントである。私は、何かしらコメントという文字で残ることはいいことだと思う。残るから。脳内にどす黒いものをためとくよりいいのではないかと思ったりする。
誹謗中傷や荒しのコメントをどうするか、という問題は、Webで、発信者を規制すべきか、受け手が我慢するか、という話に帰着すると思う。どちらが悪いのか。Webはどうあるべきかという話にもつながり答えは出しにくいが、私は、発信者の部分制限こそあれ、受信者が我慢、いや、スルーすべきことだと思う。もしくは、ブラウザのフィルタリングなどで、目にうつる世界を、人ごとに変えてしまうか、かな・・・。
( ゚∀゚)ノが、「(」 と「゚」と「∀」と「゚」と「)」と「ノ」で構成されているように、ばか、も「ば」と「か」という、それ自身意味のない文字で構成されている。見たいない言葉に出会ったとき、脳が、言葉をナナメに見ることで、まとまった言葉を、意味のない一文字一文字に分離し、意味のない記号の羅列として理解できるようなことができれば便利なのになー、なんてことをふと思った。
情報の源泉や元データは、誹謗中傷も混じったカオスでいい。いらない言葉が多いかもしれないが、コメント、アウトプットが多く勢いがつき、Webサービスとしてはプラスだから。2ちゃんねるニコニコ動画はそれで成功した典型だと思う。ひろゆき氏はやはりその辺がよくわかっているのだろうなぁ。
あとは、見る人が多くなり、それを不便だと思った人が、整理なりマッシュアップなり、整理するツールをつくるなりすればいい。人間の考えていることが完全に美しいものとならない限り、Webは美しくならないのだから。それを規制するのは傲慢であり、鏡に映った世界を醜いといっているようなものだ。
むしろ、逆に考えよう。ネガティブコメントもたくさんあるWebこそが、人が考える真実の思いで、リアル生活であふれるコミュニケーションやキャッチフレーズこそ、うわべなのだと。人間という存在の本質は一種グロテスクなもので、時に目を背けたくなるが、それがむしろそのままに近い形で現れているのが、Webなのかもしれない。
エントリを書くきっかけ
はてなブックマークの利用規約でネガティブコメントを禁止するべきかどうかについての考察
ネットコミュニティ研究所より