Webと将棋とコンピュータ

いくつか軸となるテーマを簡単に。

  • 棋士を超える最強のコンピュータは完成するか

コンピュータ選手権も毎年開催され、年々プロに迫っているといわれるコンピュータ将棋。最近話題となっているソフトとしてはbonanza。正直強い。ただ、まだプロには及ばないだろう。アマ4〜5段という所か。最近の対渡辺戦は話題になった。
必勝プログラムが作りにくい理由は、駒の打ち直しが可能であることなど、将棋というゲームの根源の評価関数は正直あいまいな部分が多いことが一因にあるだろう。駒得、駒の効率性、駒の配置とバランス、玉形の評価、攻めと相手の対応の読み、玉に迫る攻防のバランスと双方の評価が出しにくい。感覚と経験に基づくもので人間も説明しにくい。ただ、駆け引きや終盤のアヤなどに心理がからまないのはコンピュータの強みだと思う。
勝つためにはどういう思考パターンが必要か。CPUのクロック数は圧倒しているのだから、チェスのようにやがて将棋もソフトが最強となる時代が遠からず来るだろう。そこが将棋という文化の終焉となるかはわからないが、来ることは確かである。10年〜20年後というところだろうか。50年はもたないだろう・・・。その後の棋士はどうなるか、ということに関して気にはなる。

  • Webにより情報がよりオープンに共有される中、将棋の「強さ」を何に求めていくか

1,持ち時間(10分〜数日、また秒読みの60秒)以内に深く手を読み、最善を指し続けられる強さ、駆け引きのうまさ
将棋において駆け引きの時代は終わりつつあると思う。第一にいわゆる盤外戦術をはじめとしたもの。第ニに、勝負の中での攻めと受けの駆け引き。これは大いに影響はしていると思うが、研究などが進むとそういった駆け引きなどもあまり意味をなさなくなる。研究範囲の部分であれば動揺も少ないし、自分のペースで指せばいいだけだからだ。ある一定以上のレベルになると。手を早く深く読む力は必要だろう。だがそれほど人によって速度差があらわれるのだろうか。プロ同士になるとそれほど差はないだろうし、将棋は基本的に反射や時間を競うものではない。アマチュア大会などは時間が少ないこともあって、若干そういう要素はあるが。
2,盤面の形成に関する感覚と構想力が余人の域を超えている
昔と違って棋譜などの情報共有が行われているため、独自の戦法や新手、研究などがその人を強くするものとならない。いいものならみんな真似し、定跡となるからである。その情報が伝わるわけだから、誰も負ける方をもたなくなる。だから、盤面の形勢に関する特異な、卓抜した感覚が、その人を第一人者たらしめているのではないか。

3,研究量
これはあるだろうな。時間は有限だから、日々研究し、情報を摂取する。情報→研究→実践→研究→情報・・・これをひたすら続ける。大金がかかっているからなあ・・・将棋をどれだけ好きになれるか。研究できるか。ネットワークがあるかなどがカギとなってくる。
これらを複合的に併せ持つ総合力が棋士の強さという所か。あとは資質や運、時代といった要素も、活躍できるか否かには絡んでくるだろう。

少子化による(だけではないと思うが)将棋人口の減少。Webによりコンテンツが容易に入手できることで将棋に興味を持つ層が減った。また、24の普及により、道場に行く人が少なくなったように思う。24によって、将棋というものを、感想戦や話、知り合うことなどを含めたコミュニケーションとして楽しむものから、純粋に互いのボスを倒し合うゲームとしての要素のみが前面に押し出されることとなり、いわゆる儀礼などの要素が薄くなった。
将棋倶楽部24については、従来対戦相手もいない状態から、いつでもここにいけば同じくらいの相手が見つかるという時点で素晴らしいと思う。点数を純粋に争うレーティング制も秀逸。実際すでに将棋をやってる人で知らない人はほとんどいないほど普及した。素晴らしいが、何か失われてしまったものも少しあると思う。コミュニケーション的な何かを。それを否定的にとらえるのではなく、補完できるようなアーキテクチャがあればいいなと思う。